◆寺尾(てらお)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「加計」(昭和22.2)を使用したものである
所在:安芸太田町加計(かけ)字寺尾
地形図:加計/加計
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約500m
訪問:2022年11月
大字加計の南東部、丁(よおろ・よろ)川左岸支流沿いにある。
林道三谷塩明線の寺尾トンネルより集落への道路が分岐し、集落内で終点となる。
集落内には数棟の家屋が残り、別荘として改装されたものも見られる。うち1箇所は集会所のようで、敷地には「寺尾郷記念碑」や昭和20年当時の住民の一覧、加計の民話伝説(寺尾の銀山)の解説の立札などが集められている。建物は訪問者にも開放され、銀山遺跡の解説や写真、概略図が掲示されており、さながら銀山の資料室のような様相。ただし建物も老朽化し、写真などの掲示物も劣化が著しく、近年は管理が難しくなっていることが窺える。
以下は寺尾郷記念碑の碑文。
寺尾部落の歴史(※1)は約八百年前堂屋敷真言宗寺院に源を発すると言はれ又約五百年前の銀山開発により寺尾千軒と伝説の如き大発展をした幻しの集落である
昭和三十八年積雪六尺に及ぶ大豪雪以降十三戸の戸数も急激に減少し猪野猿に耕地は荒廃(※2)し昭和五十三年遂に全戸離郷するに到る茲に有志記念碑を建て永遠に寺尾部落を存続せんとするものである
※1 「歴」は略字。「厂」
※2 本文では「廃」がやまいだれ
また以下は「加計の民話伝説」の全文。
寺尾の銀山
遠い昔、天皇さまが四国の温泉のある町にお泊りになったおり、見晴らし台に立ってご覧になっていますと、遥か北の空の雲の一角が、美しく輝き光っていました。
これは不思議と思われた天皇さまは、お使いの者をやって調べさせ、何日かたって漸く辿りついたのが加計の寺尾の里でした。
寺尾の山の頂上から空に向かって毎夜のように光が射し出ていたのです。 この山肌に積っている木の葉を取り除いてみると、世にも珍らしく全山が、金銀の鉱石で覆われ輝いていました。
それから鉱山が開かれて人もたくさん集り、一時は千戸の町ができ上がり、劇場もあるほどの賑やかさであったということです。今でも昔の鉱山跡である立て坑や横坑の跡が見受けられます。
なお鉱山跡は未訪問。
町史によると、明治5年の「壬申戸籍」では、河野家12・佐々木家8の計20戸とのこと。神社として河内大明神があった。 野竹・水谷・都賀尾などとともに大正末年から昭和初期までに電灯導入。昭和35年8戸35人。引用する『寺尾郷史』によると、明治初年20数戸であったが、昭和初期には13戸に減少。昭和20年13戸60数人、同35年8戸。同53年無住となる。
昭和20年当時の家々は以下のとおり(現地にある昭和20年当時の住民の一覧を元に、同書が改変したもの)。
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屋号 |
姓 |
現住地 |
小字 |
1 |
上繁 |
河野 |
加計 |
本寺尾 |
2 |
前広屋 |
〃 |
広島市 |
〃 |
3 |
上ヶ原 |
〃 |
〃 |
〃 |
4 |
前之部屋 |
〃 |
加計 |
〃 |
5 |
西 |
〃 |
広島市 |
〃 |
6 |
上河内 |
〃 |
加計/東京都 |
〃 |
7 |
中田屋 |
佐々木 |
加計 |
〃 |
8 |
岡田 |
〃 |
加計/大阪府 |
〃 |
9 |
隠居新木屋 |
〃 |
町内下殿河内(しもとのごうち) |
〃 |
10 |
本家新木屋 |
〃 |
加計 |
〃 |
11 |
隠居新田屋 |
〃 |
広島市 |
〃 |
12 |
新宅 |
〃 |
加計 |
古寺尾 |
13 |
本家 |
〃 |
広島市 |
〃 |
大正10年以前の家は以下のとおり。
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屋号 |
姓 |
現住地 |
小字 |
14 |
迫 |
河野 |
八千代町【現・安芸高田市】 |
本寺尾 |
15 |
国吉 |
〃 |
九州 |
〃 |
16 |
部屋 |
佐々木 |
加計/広島市 |
古寺尾 |
なお見出しの読みは「角川」の小字一覧のルビに拠った。
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