◆東伏菟野(ひがしふどの)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「江住」(昭和24.5)を使用したものである
所在:田辺市東伏菟野
地形図:市鹿野/江住 合川/栗栖川
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が集まる
離村の背景:集落整備事業
標高:約200m
訪問:2007年11月
前(まえ)ノ川沿いで、原と長瀬の間にある。
「角川」によると、大字東伏菟野は近世の牟婁郡伏菟野村。明治12年東伏菟野村に改称。同22年三川(みかわ)村(のち大塔村)の大字となる。江戸期間「符戸(ふと)村」「伏免野村」という表記もあった。明治6年11戸・男28・女20、明治24年12戸・男34・女29。地名は、「フド」という蔓草の生える地の意とある。
村誌によると、天保年間11戸38人、昭和59年1戸3人。
最近の地図でも、国道沿いの平地に2軒の建物がある。下木守(しもこもり)の方の話によると、昭和40年代まで5、6軒の家があったという。
現地は、国道の西側には新しい建物が建っているが無人のよう。東側には2世帯の家があり(写真1・2)、それぞれ木造の母屋と、便所が併設された物置が残っている。どちらも広瀬姓。無人だが電気の契約はしているようで、1軒には平成19年の電気使用量の通知が挟まっており、もう1軒には橙色の電球が灯っていた。
この2世帯の裏手には耕地跡が広がり(写真3)、奥の斜面には石段と石垣が残る。碍子や茶碗、地面を掘った何かの遺構などが残っており、雰囲気から民家ではない何かしらの建物があったようだ(写真4)。
昭和49年ごろ、家の後継者がないため無人化。
|