戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆木守堂(こもりどう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「江住」(昭和24.5)を使用したものである

所在:田辺市原(はら)
地形図:下露/江住
異表記:木守道(石仏・「角川」小字一覧)
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約550m(登り口―高野集落・約230m 将軍川林道・約350m)
訪問:2007年11月

 

 将軍(しょうぐん)川の上流五味(ごみ)の各大字を分ける稜線の付近にある
 経路は五味の最南端、高野(たかの)集落から沢沿いに登るものと、白浜町から将軍川に沿って登るものがある。距離では高野から行くほうが近い(高野より約1.8km、将軍川林道より約2.8km)。
 高野の方の話では、古い集落なので詳しい話は分からないそう。無人になったのは60年くらい前(1940年代後期)ではないかとのこと。行ったことはあるそうで、入り口を教えてもらい山道なので気をつけるようにとの言葉を頂いた。
 途中2、3箇所迷いながらも、原・五味境界の鞍部に到着。ここには石仏(道祖神?)があって、みかんと飴が供えられていた(写真1)。「明和四■■ 施主 木守道市助」(■は判読できず)という文字が見られる。峠を越え少し下ると集落跡に到着。まず小平地と石垣が見えてくる(写真2)。もう少し下ると数多くの石垣を見ることができ、段々になった耕地が多くあったものと思われる。民家跡が1箇所で(写真3)、ここには穴や壜、瀬戸物のかけら、石垣と石段が残されていた。他にも建物があったであろう敷地が1箇所と、炭焼き窯の跡のようなものが見られた。
 なお表記については、「角川」の小字一覧では「木守道」となっている。


◆ 追記
 2022年1月、閲覧者様より古座川町平井地区で発行された広報誌(※)についての情報をいただきました。地域の古老の懐旧談が掲載されており、氏の就職先の田辺市への道筋に当地が所在。明治43年頃には2戸が暮らしていたことが分かりました。また同誌での表記は「木守堂」で、これを機に「木守道」の表記を主体としていたものを「木守堂」に変更しました。この場を借りてお礼申し上げます。

※ 「辛夷」 昭和53年3月号 古座川町公民館平井支館こぶし会発行

 


写真1 石仏


写真2 石垣


写真3 屋敷跡の石段

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ