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◆古屋(ふるや)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「江住」(昭和24.5)を使用したものである

所在:田辺市古屋
地形図:市鹿野/江住 合川/栗栖川
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約150m(水面は約120m)
訪問:2016年2月

 

 村の南部、将軍川沿いにある。現在は殿山(とのやま)ダム(通称合川(ごうがわ)ダム)の湛水に伴い一部が水没。
 殿山ダムには2007年にも訪れたが、その時は右岸の佐田より集落方面を望んだのみであった。2016年改めて日置川町【現・白浜町】市鹿野(いちかの)方面より山を越えて訪問。古い地形図に記された道は林業に利用されているようで、所々崩れながらもその形跡を残している。
 地名表記付近では水面の近くに農地跡と2箇所ほどの屋敷跡、浦氏の名が刻まれた墓地(写真8)を確認。集落の西には林業のために架けられたと思われる丈夫な吊り橋(写真10)があり、下露(しもつゆ)佐田からの訪問も可能となっている。架設はかなり最近と思われ、2016年現在でも地形図には反映されていない。
 ここから右岸に渡り上流へ進むと、石仏や農地跡、佐田との境界付近に屋敷跡1箇所を確認。
 「角川」および村誌によると、大字古屋は近世の牟婁郡古屋村。明治22年三川(みかわ)村(のち大塔村)の大字となる。天保年間17戸60人、明治6年11戸男31・女25、同24年11戸・男37・女31。農業のほか、山仕事・炭焼き・丸太流しなどが生業。昭和32年殿山ダムの完成により集落は水没。田辺市や上富田町に移転。浦姓。

 


(写真1 道中にて。峠の石仏)

写真2 谷と農地跡の石垣(以下左岸)

写真3 谷の合流部付近

写真4 農地跡

写真5 屋敷跡?

写真6 石仏

写真7 屋敷跡

写真8 墓地

写真9 穴

写真10 橋

写真11 農地跡(以下右岸)

写真12 農地跡

写真13 道沿いの石仏

写真14 何かの跡

写真15 
佐田との境界付近。農地跡

写真16 同。屋敷跡

 

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