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◆下秋生(しもあきゅう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「根尾」(昭和26.3)を使用したものである

所在:大野市下秋生字上東平(かみひがしだいら)・下東平(しもひがしだいら)・上西平(かみにしだいら)・下西平(しもにしだいら)ほか
地形図:能郷白山/能郷白山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約500m(水面は約510m)
訪問:2012年11月

 

 旧西谷村の南東部、笹生(さそう)川沿いにある。
 以下は市史および「角川」より集落に関する記述。

大正9年34戸187人、昭和5年35戸208人、同30年33戸159人。昭和30年笹生川ダム建設に伴い大野市などに移転
上秋生にあった中天井鉱山が栄えていた頃、300戸1,500人が各地から集まり、繁華街を形成していたという
明治期は農産物としてヒエ・アワ・大豆・小豆・ソバなど。養蚕・製紙も行われていた
神社として八幡神社があったが、離村に伴い大野市篠座(しのくら)の篠座神社境内に秋生神社を創設。上秋生の白山神社と合祀
浄土真宗の道場(寺号のない仏教施設)があった
明治24年駐在所が設置され本戸小沢・下秋生・上秋生を管轄したが、同42年中島駐在所に編入され廃止
学校の沿革は以下のとおり

 明治11.11  秋生小学校開校。校区は本戸小沢・下秋生・上秋生
 明治20  秋生尋常小学校と改称

 昭和16

 秋生国民学校と改称。高等科併設
 昭和22  秋生小学校と改称。秋生中学校併設

 昭和31.7

 廃校

 また中島に展示されている集落の地図(昭和30年頃)には、安間10・奥島8・岩崎4・石田2・是島2・山本2・太田・杉本・谷口・新田・水口各1の計33戸(※)および製材所や発電所が記載されている。なお水口氏は日用品や食料品の店を営み、安間氏のうち2軒と山本氏の一方は馬車を取り扱っていたよう。

※ 後述の碑では安間12・奥島8・岩崎5・石田2・山本2・是島・谷口・新田各1

 現地で遺構等の確認はしなかったが、神社や一部の宅地は水没を免れているか。県道沿いには石仏(写真5)と離村時の「萬霊碑」(昭和31年建立)(写真6)がある。以下は碑の全文


慰霊碑文
一九五六年依ダム建設 下秋生部落為解散移轉
祖先之万靈永遠冥安 願生活安定兒孫之發展
此地有史前蝦夷之開闢 止寺島古跡有源平故事
石山之戰功顯如之絵像 中天井開山武田之忠節
謝万臺功績哀故山離別 誓継承偉業以為慰靈碑

 


(写真1 笹生川ダム堰堤)

写真2 地名表記

写真3 集落付近

写真4 湖面にて

写真5 石仏

写真6 碑

 

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