◆深道(ふかどう/フカド)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「八尾」(昭和32.10)を使用したものである
所在:富山市山田深道
地形図:山田温泉/八尾
形態:山中に家屋が集まる
標高:約570m
訪問:2011年6月
村の南部、山田川左岸山中にある。牛(うし)岳の南部に等高線が大きく緩やかになっている部分があるが、この付近に集落があった。
集落の上部には「深道ブナ林」(村指定の天然記念物)があり、そのためか集落跡付近にも疎らにブナの木が生育している。現地はブナ林の観察や牛岳登山のためか比較的よく整備され、集落跡の標柱(写真1)や新しい東屋がある。学校跡(鍋谷(なべたに)小学校及び山田中学校の深道分校)には石碑が建っているが、遺構はまったく見られない(写真2)。碑によると、それぞれ明治37年〜昭和45年5月、昭和38年4月〜同45年3月に存在したよう。屋敷跡の平地には、まだ植えられたばかりの広葉樹の苗が多く見られた。浴槽や井戸など、人家の遺構が僅かに残る。牛岳神社の跡はよく分からず。
村史によると、無人化は昭和45年5月25日。草分けは水上家といわれている(当時は鈴木と名乗っていた)。産物は蓑・石灰・繭・そば・和紙・焔硝・木炭など。特に蓑は「深道蓑」として有名で、1800年代半ば納村家の入養子が製法を伝えて以来、長く製造され続けた(『村の記憶』によると昭和30年代まで)。各戸の状況は以下のとおり。
番号 |
屋号 |
姓 |
明治5.2 |
明治30.1 |
大正15.4 |
昭和24.8 |
移転時期 |
移転先 |
備考 |
1 |
幅 |
深谷 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和45 |
富山市 |
|
2 |
水上 |
水上 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和41 |
婦中町【現・富山市】 |
|
3 |
清水(しょうず) |
納村 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和38 |
井波町【現・南砺市】 |
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4 |
あつちや |
山川 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和45 |
新湊市【現・射水市】 |
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5 |
東 |
茂利 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和45 |
婦中町 |
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6 |
小屋 |
森川 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和45 |
富山市 |
|
7 |
めんぱ |
桜井 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和42 |
井波町 |
|
8 |
窪 |
荒井 |
○ |
○ |
○ |
○ |
(記載なし) |
(記載なし) |
|
9 |
表 |
横山 |
○ |
○ |
○ |
○ |
昭和42 |
井波町 |
|
10 |
(記載なし) |
深盛 |
― |
○ |
― |
― |
明治34 |
(死去) |
明治22年再興 |
11 |
〃 |
山本 |
― |
― |
○ |
― |
昭和39 |
(石灰山閉山) |
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以下は学校の沿革。
明治21.4.1 |
鍋谷小学校深道分教場開設 |
明治23.3.31 |
廃止 |
明治27.9.24 |
再び開設 |
明治45.4.1 |
常設の分教場となる |
昭和22.4.1 |
鍋谷小学校深道分校と改称 |
昭和36 |
高清水冬季分校開設(昭和42年度まで) |
昭和45.5.13 |
廃校 |
資料『村の記憶』によると、 米や野菜は十分に収穫があり薪炭の収入(冬は出稼ぎも)で生活は安定していたが、木炭の需要が減少した頃から衰退していったという。
なお大字深道は、近世の婦負郡山田郷の深道村。明治22年山田村の大字となる。昭和5年9戸101人(角川)。
※ 高清水・深道・利賀村【現・南砺市】高沼(たかぬま)・脇谷にかけての一帯には石灰岩が埋蔵され、昭和25年頃まで産出した
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