◇旧谷中村
渡良瀬(わたらせ)川・巴波(うずま)川・思(おもい)川の合流部付近、現在の渡良瀬(わたらせ)遊水地にあった行政村(下都賀郡)。現在の栃木市藤岡町内野、および下宮に当たる。栃木県の最南端でもあり、南は茨城・埼玉、西は群馬に接している。洪水の被害と鉱毒の顕在化、さらに遊水地化の計画により、明治39年に強制的に廃止され、藤岡町【現・栃木市】に併合された。
※1 ただし資料館の展示では明治7年とある ・産業 ・教育 (変遷)
※2 前身の明幹舎と後身の下宮学校の時期が逆転しており疑問が持たれるが、本文でも「明恵舎・下宮学校の開業年など検討すべき点も多い」としている (児童数〔男/女〕)
下宮
明治10年代、上流の足尾銅山では有望な鉱脈が発見され、盛んな操業が行われるようになる。足尾周辺では鉱毒や煙による被害が早くから確認されていたが、渡良瀬川流域では明治10年代後半から兆候が見られるようになる。明治23年8月の渡良瀬川の大洪水により、農地や飲料水の汚染といった鉱毒の被害が顕在化。特に谷中村は渡良瀬川の逆流被害を最初に受けるため、影響は甚大であった。 明治24年6月、県は被害調査のため5箇所の鉱毒被害地試験所を設置。うち1箇所が下宮に設けられる。同年、田中正造(※5)が足尾鉱毒事件についての質問書を提出。 明治29年、2度の大洪水が起こり被害が激化。鉱毒被害地の免租が申請されるも認可に至らず。同年10月、田中正造は鉱毒被害請願事務所を設置。 明治30年、第一次鉱毒調査委員会が設けらる。5月には鉱毒予防工事命令が下されたほか、免租も具体化。 明治34年10月、田中正造は議員を辞職。同年12月、事件を天皇に直訴。 明治35年3月、桂太郎内閣により第二次鉱毒調査委員会が設けられる。翌年3月、委員会が政府に「足尾銅山に関する調査報告書」を提出。この中に遊水地を設ける案が出された。同じ頃、被害地からの鉱業停止請願が活発化。谷中村村長ほかの連名で、桂総理大臣に鉱業停止と被害地の回復が請願された。 明治36年6月、帝国議会で谷中村の遊水地化案決議。 明治37年7月30日、田中正造が谷中に移住。以後、村民と団結し廃村・遊水地化の反対運動を続けることとなる。同年12月、県議会おいて谷中村の買収案が可決。翌38年1月より、県と政府は遊水地化計画と土地買収を進める。同年3月、知事より村民に出された告諭において住民を移住させる方針が示される。同年7月、県は測量のため谷中村立入を通告。11月より買収開始。買収に反対する住民には様々な手段により圧力がかけられることとなる。 明治39年4、県知事は谷中村に対し藤岡町との合併案を諮問。村議会はこれを拒否するが、同年5月、知事は合併を告示(この時点で約140戸)。同年7月1日、谷中村が廃され藤岡町に合併。買収に応じない住民に対する圧力はますます強まり、多くの者が離散。しかしなお堤内に20戸、堤外に50余戸が残留(明治40年2月)。 明治40年1月、政府は元谷中村に土地買収法の適用を認定する公告を出し、村域の強制買収に取りかかる。残留住民は田中正造とともに谷中村復活の運動を続けるも、同年6月29日には県による家屋の強制破壊が行われる。まず内野の堤内16戸と恵下野の堤外3戸が対象となり、これらは7月5日までにすべて打ち壊された。住民はなおも仮小屋を建てて抵抗を続ける。 明治41年、政府は住民の立ち退きを推し進めるために元谷中村に河川法を適用(小屋掛けも耕作も許可が必要となった)。 明治42年、政府は渡良瀬川改修工事計画を発表。翌年、帝国議会にて可決。この計画に伴う土地買収(明治44-45年)により、さらに多くの人々が移住した。 大正2年、田中正造73歳で死去。 大正4年11月、内務省と県は元谷中村の堤外にも土地収用法を適用。また県は堤内の仮小屋の残留住民に立ち退きを要求。翌6年1月には、残留18戸が県知事と移住の覚書を交換。県の用意した土地へ移住し、これをもって全戸の移住が終了した。同年2月25日、「田中翁墳墓移転奉告祭・残留民移転訣別式」挙行。 大正8年、県の買収価格の約5割増しという形で土地収用問題は決着。 ※5 田中 正造(たなか・しょうぞう)は、現在の佐野市出身の政治家。衆議院議員時代に行った鉱毒被害の調査・質問書の提出を発端とし、以来生涯に亘り鉱毒事件の解決と被害者の救済に尽力した
新潟 ※6 ただし町史では74戸 ・移転者 茂呂36・木村15・大野14・宮内14・高田13・新井11・加藤11・川島11・針谷11・松本11・鈴木10・染宮10・田中10・岩波8・神原8・渡辺8・秋山7・落合7・間明田7・今成6・早乙女6・水野6・大島5・北村5・栗原5・清水5・関口5・台5・中田5・橋本5・野口5・内田4・川嶋4・川鍋4・佐山4・篠崎4・寺田4・羽兼4・長谷川4・古沢4・古澤4・峯岸4・綾部3・岡部3・亀田3・神田3・熊倉3・小久保3・小島3・狐塚3・竹沢3・鶴見3・平野3・宮崎3・井樽2・今泉2・榎本2・大出2・岡島2・小木2・尾花2・神山2・木戸2・島田2・戸崎2・松崎2・山野井2・山中2、ほか池沢・石島・岩下・江原・海老島・大嶋・岡山・小澤・小野田・梶田・坂才・佐々木・須藤・須永・関塚・関根・芹澤・園部・中里・中島・長久保・長野・新嶋・沼尻・野中・萩原・林・比本・藤岡・保土塚・増月・松井・水戸部・本島・山田・横関・横山・吉井・吉場が各1。 |