◆大淵岱(おおぶちたい)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「太良鑛山」(昭和22.1)を使用したものである
所在:大館市岩瀬(いわせ)字大川目元渡(おおかわめもとわたり)
地形図:越山/田代岳
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約170m(水面は約190m)
訪問:2016年5月
大字岩瀬の西部、岩瀬川沿いにある。現在は山瀬ダムの湛水に伴い水没。
資料『戦後開拓のあゆみ』によると、戦後の最盛期は30戸超。昭和57年から58年にかけて、山瀬ダム建設により当時の22戸が転出したとのこと。転出先は岩瀬の上軽石野(かみかるいしの)(山瀬小学校付近)が15戸で最多。
町史によると、伐木造林等の事業のため開発された集落であったよう。明治43年にトロッコ軌道が開通した頃は原野であったが、大正7年当時で13戸65人が居住している。奥へ延びる軌道の分岐点であることや赤倉鉱山への中継地であったため、奥地開発の拠点にもなっていた。また営林署の事務所が置かれていた。昭和41年当地までバス路線が開通。離村時の戸数は21戸、うち17戸が上軽石野への転出とある。また「大淵岱追加」と称される開拓集落が当地に近くに開かれ、昭和26年4戸が入植したが、昭和43年に離農している。
現地は堰堤のすぐ北側のため、痕跡は皆無。
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