◆吉ヶ沢(よしがさわ)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「淺舞」(昭和22.6)を使用したものである
所在:横手市大森町上溝(おおもりまちうわみぞ)
地形図:浅舞/浅舞
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約800m
訪問:2018年5月
大字上溝の中部、吉ヶ沢川(雄物(おもの)川二次支流)沿いにある。
資料『秋田・消えた村の記録』によると、戦後最盛時10戸(佐藤家5戸・高橋家2戸・佐藤家2戸・吉沢家1戸)。昭和40年代前半に4戸が転出し、同48年に集落再編成事業により残る6戸が転出し無住となったとのこと。転出先は、町内上溝(うわみぞ)の松原(まつばら)4戸・同船沢(ふなざわ)3戸・同松原団地2戸・東京都1戸。なお昭和45年に火災が発生し、3戸が焼失。このことが集団移転の契機となったという。昭和23年電気導入。
現在もいくらかの小屋が建っており通い耕作が行われているが、墓地から先では工事が行われていたため上流部の様子を窺うことができなかった。集落の手前500mほどの所に「吉ヶ沢集落育苗センター」がある(写真5)。
なお以下は松原団地にある「新天地」の碑(写真6)に刻まれた碑文。
過疎地域集落整備事業 松原団地について
この事業は 大森町が 町民にひとしく文化の光と惠みがうるおうよう 辺地集落の解消を目的として起こしたものである
昭和四十八年度に着手 翌四十九年度に完成 この二年間に四集落(※)二十戸が集団移転し 希望と躍進の生活の営みを始めた
丘陵を切り開いて新生の天地をつくり出すために努力した多くの人々の功労をたたえ 松原団地の永遠の発展を心から祈念するしだいである
昭和四十九年 十一月三日
※ ほか夏見沢(大森のみ)・堀戸・呂土・吉ヶ沢
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