◆不老倉(ふろうぐら・ふろうくら)
(不老倉鉱山)
※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「花輪」(大正4)を使用したものである
所在:鹿角市十和田大湯(とわだおおゆ)字不老倉
地形図:犬吠森/花輪
形態:谷沿いに家屋や施設が集まる
標高:約450m(中心部) 訪問:2016年5月
大字大湯の南東部、安久谷(あくや)川上流部にある。主に銅を産出した不老倉鉱山等に伴う鉱山集落。ここでは流域にあった新不老倉鉱山・来満鉱山についても触れる。
以下は市史および資料『不老倉鉱山誌』より当地の要約。
「狼倉銅山」として延宝期(1673-81)に発見され、銅を産出した記録が見られる
最盛期(大正中期)は人口6,000人。主な町名は、明治43年以降で元山・地森町・寺町・来満町・稲荷町。大正5年頃からは新町・春木町が開けていく。大正8年頃になると勘平岱にも役員宅が建てられた(不老庵の過去帳より)。最盛期で元山20棟・地森町21棟・地森川向25棟・寺町17棟・稲荷町28棟・来満町16棟・来満通25棟・来満24棟・来満新町28棟・新町25棟・春木沢9棟の建物があった。なお春木沢は大正10年には無住となっている
主な商業施設は、元山に湯屋・呉服屋・質屋・床屋・旅館(仙台屋)、地森町に湯屋・自転車店・商店・菓子店・呉服店・床屋・魚屋・八百屋、寺町に湯屋・薬屋、稲荷町に湯屋、来満町に湯屋・桶屋・菓子店・旅館(豊田旅館)・料理屋(来満倶楽部)、勘平岱に商店があった
地内には大湯小学校不老倉分校があったが、昭和24年5月閉校。明治18年4月に設置され当初は元山にあったが、大正5年から6年にかけて地森町を経て勘平岱へと移転した。新学制により中学校の分校も開校したが、小学校分校と同時に閉校
寺院として万年山不老庵があり、開創は明治40年7月12日。鉱山の衰退に伴い昭和2年廃されている
神社としては山神社があり、旧位置は岳ヶ沢付近の小高い丘の上。新しいものは台所沢付近にあり、本殿・拝殿跡もはっきり残っている。新不老倉と来満にも山神社があったが、現在は痕跡を確認できない
墓地(友子(※)の墓)は寺ノ子沢・先達ノ沢・下長沢の3箇所と、細地鉱山跡にある。現在確認できるのは、先達ノ沢と下長沢のもの
※ 友子(ともこ)とは、鉱山労働者による独自の相互扶助組織。江戸時代から近代まで続いた
近代以降の鉱山の主な変遷は以下のとおり。
明治20 |
古河市兵衛の経営となり、活況を見せる |
明治25 |
不老倉尋常小学校、県知事許可 |
明治30 |
金堀沢(青森・田子町)に、不老倉鉱山の精錬所建設 |
明治37 |
細地鉱山を併合 |
大正2 |
金堀沢にあった精錬所を廃止。不老倉・小坂鉱山間に設けた索道により、産出鉱のすべてを小坂鉱山に売却する体制に移行 |
大正5 |
四角鉱山を買収。小坂‐不老倉間の索道を四角銅山まで延長 |
大正中期 |
世界大戦時の好況もあり産出量の著しい挽回を見せ、この頃最盛期 |
大正13 |
不老倉‐四角鉱山間の索道廃止 |
昭和2 |
経営困難となり、4月限りの閉山の意嚮を表明(2月)。坑内作業は5月で打ち切り、従業員は尾去沢鉱山・扇田炭礦・磐城炭礦などへ離散
大日本鉱業株式会社が経営を継承。大日本鉱業不老倉鉱業所となる(11月) |
昭和6 |
休山(8月)。沈澱銅の採取は継続 |
昭和13 |
古河鉱業により再興 |
昭和17 |
帝国鉱業開発会社が古河鉱業より受託経営開始 |
昭和21 |
全国の重要鉱山に指定される(6月) |
昭和22 |
休山(9月)。沈澱銅の採取は継続 |
昭和28 |
この頃、不老倉沢に不老倉・新不老倉・来満の各鉱山が並立 |
昭和29 |
古河鉱業により再興 |
昭和39 |
休山。のち不老倉・新不老倉・来満の各鉱山は卯根倉鉱業の経営に移る |
昭和42 |
来満鉱山休山 |
昭和45 |
廃鉱 |
(新不老倉鉱山)
不老倉鉱山の西。集落は安久谷川と板子沢の合流部付近を中心とした地域。
明治40頃 |
八戸の最上氏が所有。一時操業し小坂鉱山へ売却していた |
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小倉石油会社の所有となる |
昭和8 |
鉱区放棄
毛馬内の北郷氏が鉱業権を取得、探鉱開始(9月) |
昭和10 |
小坂町の早川氏の所有となる(11月)。早川氏より藤田鉱業へ調査依頼(12月) |
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東京の正富氏の鉱区となる |
昭和18 |
帝国鉱発に移管 |
戦後 |
内外鉱業の経営となる |
昭和28 |
ラサ鉱業に移管。日本鉱業が調査したが、ラサ鉱業との売山契約は不成立。その後、日本鉄鉱開発と探鉱契約 |
昭和29 |
同和鉱業へ調査依頼 |
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この間の鉱業権の経緯不明。昭和31年には中島産業が経営している |
昭和38 |
同和鉱業の所有となり、来満鉱山と併合。卯根倉鉱業が経営 |
昭和42 |
休山(9月) |
(来満鉱山)
不老倉鉱山の北。集落は上長沢の合流部付近からセンナ沢の合流部付近に亘る。
昭和27 |
橋口氏が鉱区設定。その後前田氏が買山 |
昭和30 |
同和鉱業より融資を得て、8月より操業開始 |
昭和31 |
中島産業に移管(8月) |
昭和38 |
同和鉱業に移管。卯根倉鉱業所で探鉱開始 |
昭和42 |
休山(6月) |
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