◆金堀沢(かねほりざわ)

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「花輪」(大正4.6)を使用したものである
所在:田子町(国有林) 地形図:犬吠森/花輪 形態:川沿いに家屋や施設が集まる
標高:約390m(精錬所付近)
訪問:2017年5月
町の西部、熊原(くまはら)川(馬淵(まべち)川支流)の上流部にある。
町誌・鹿角市史・資料『不老倉鉱山誌』によると、明治30年2月金堀沢鉱業所創設。不老倉鉱山の銅鉱を処理するための精錬所が建てられたとのこと。1県に2箇所以上は設けられないため青森県側に設けたという。精錬所は大正2年に廃止され、不老倉‐小坂鉱山間に設けた索道により、産出鉱のすべてを小坂鉱山に売却する体制に移行した。
現在は金堀沢方面と弥勒ノ滝方面との分岐に「来満街道・不老倉街道」の標柱(平成20年、町教育委員会による設置。写真1)が建ち、往時の交通の様子を窺うことができる。以下は標柱に記された文。
標柱後方の藪の中を嶺伝いに来満街道が伸びている。不老倉鉱山への近道として多くの通行人が利用した。
左手の沢ぞいの道が不老倉街道で、鉱山最盛期の大正初期には精銅を積載した六十台余の馬車が三戸駅まで往復した産業道路であった。両街道とも地形を熟知した案内人なしでの通行は困難である。
最近の地図でも現地までの車道が記載されているが、現在は中心部のおよそ650m手前で川を渡る橋が落ちている(※)(写真7)。なおこの辺りは上の地図画像の右上部分で、多数の建物があった場所であるよう。ここの右岸側および精錬所のあった中心部では、いくらかの遺構が確認できる。また地図画像の左下、大型の建物が道に沿って記載されている部分でも、平坦地となっているのみ。
続けて不老倉峠まで訪れてみたが、ある程度の道幅が保たれておりかつては荷馬車が往来していたことが窺える。
※ 町誌には「(精錬所まで)数年前までは乗用車が通じていたが、…(略)…橋が朽ちていたので、もう渡れないだろう。この木造の危険な橋を渡って…」とあり、刊行時(昭和58)には既に朽ちながらも、徒歩であれば渡ることができたことが窺える
|