囲炉裏と火鉢の道具1

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和歌山県田辺市
新万17-18

TEL 0739-23-3252

囲炉裏と道具のお話

 各地に伝わる囲炉裏や道具のお話をまとめてみました。たくさんの書籍や当店のある和歌山県田辺市在住の茶道の研究家である山田新一先生のお話を参考にさせていただきました。また、内容には、当店独自の考え方も入っております。

1.囲炉裏の語源   2.五徳について  3.自在鉤のお話  4.各地に伝わる囲炉裏の作法とお話


1.囲炉裏の語源

 囲炉裏というのは当て字で、居間で炉を囲むまでは当たっているが裏という字は見当がつかない。最初は、イルイとでも言っていたものが当て字により囲炉裏となったという説がある。また、炉の中は、神の住む神聖な世界、この世とは違う世界を表す意味で裏という字を当てたという説などあります。

2.五徳について

 古文書を読みますと、大昔は、調理をするのに足の付いた鍋を用いていたのが、いつのころからか足を別にしたほうが仕事がしやすいということで五徳というものができたようです。一般的には、金輪(かなわ)などと呼ばれていました。

 五徳という名前は、儒教の位の高い僧侶の頭の被り物に似ていた為という説がありますが、真偽の程はわかりません。五徳とは、仁・義・礼・智・信とか、温・良・恭・倹・譲とか、五行(ごぎよう)(木・火・土・金・水)の徳など。色々な説もあるようです。

 茶の湯の流れの中で山の中の住居を手本として、その山の民の生活の中から「侘び(わび)」という思想が生まれた。茶室は、山の中の住居を手本としたことから、当初、炉には自在鉤が釣られ、五徳は、あくまでも蓋置きや炭置きなどの補助的な役割でしかなかった。五徳が導入されたのは室町時代後期で、一度に流行るというものではなく、徐々に広まりをみせていった。

 室町時代末期頃に茶室も炉も小型化され、それにともない、自在鉤ははずされ、炉を切り五徳を据える姿が本流となっていった。

 五徳は、「ツヨキヲ本トス」理念から出発した。五徳の輪は、上にして使用するほうが、鍋や釜を置いたときに極めて安定する。しかし、茶の湯では、それを逆さまにした。炭を焚き続ける際に、輪が上にあると新しい炭を追加しずらいからと考えられている。新しい炭をくべる際に、より、自然な形でできるように輪を下にして柱を上にしたのである。柱だけでは不安定となるので爪をつけて安定させた。

3.自在鉤のお話
 
 自在鉤の横木の部分には、魚が彫られていることが多いですが、これは、火の神様を喜ばすために魚をお供えするという説や魚は水に通じるところがあるため火の用心の意味があるという説などがあるようです。また、魚については、鯉、鮒、鯛など特別な決まりはなく、魚であれば何でもよいということのようです。

 自在鉤の魚の向きについて、色々と調べてみますと、北もしくは家の奥のほうを向かせて固定するとの説があり、南向きに立てられた昔の家の作りからすると、少なくとも南や東向きではないようです。また、鉤の部分をキジリに向けないとする地方もあります。出鉤入魚といい、鉤は、戸口へ魚は奥へとする地方もあります。

4.各地に伝わる囲炉裏の作法とお話

 1)囲炉裏の座る作法

 囲炉裏の四方には、そこに居るべき人の座が決まっていました。先ず、最初は、戸主の座で是は、土間に面して上がり口から最も遠く、ここだけは畳が1畳、横に敷かれてあった為に、上座とは言わずに横座というのが、ほぼ全国的な名になっておりました。横座に座る主が囲炉裏の火の管理者となりました。

 これに対して横座の右左、通例としては炉の長いほうの両側には、ゴザが竪に敷いていました。それで、その片方を竪座という名もありますが、ここは外から来る客人の座でありました。家の表口に近い席で家は、大抵、南向きに立っていますので南座ともいいますが、普通は、客座であり、或いは寄座、ヨリツキ、マリト座、ヒト座敷ともいう地方もあります。

 また、竪座には、横座に近いほうから長男、次男と座る場所でもありました。その対面は、女房や女たちの座るカカザ、女座、オナゴザと呼ばれました。横座に一番近いところのカカザに座るのは、戸主の女房で、杓子番となりました。杓子は、女房以外は触ることができませんでした。それで嫁に世帯を引き継ぐことを「杓子を渡す」といわれました。

 主人の座る横座の対面は、板敷きで藁も畳もなくシモイリ、ゲスイとか、また、木尻と呼ばれました。大きな家では、下男下女、出入りの者などが座ったようです。若い嫁の席でもありました。是は、嫁を下人とみたのではなく、昔は、横座の後ろに神棚がある場合が多く、若い女には忌の日が多いので、神から遠ざけたようです。多くの家では、キジリには当座の燃料を置いていました。

 この炉端の座席の中で、かつて一番厳重に守られていたのは横座とカカザ、すなわち主人夫婦の座でありました。社交がすすみ、意外な客が来るようになると主人がもてなすために女房の座まで下って、来客者に横座へ座るように進めることもありましたが、それを辞退する客のほうがはるかに多かったのです。

2)各地に伝わる囲炉裏の話

      
座の名称  各地に伝わる囲炉裏のお話し
青森 ヨコザ・カカザ(エヌシバ、オナゴザ)・キャクザ(オトコザ)・キシモトなど。 炉は、シホドといって土間から入った台所にある。大きいのは、4尺×6尺。小さいのでも畳1枚ほど。炉辺を木で囲むようになったのは明治以降ともいわれる。
秋田 ヨコザ・カカザ・キャクザ ヨコザの正面がミジャ(水屋。調理場)でミジャの中を水路が通っている。そこで洗い物をすると外の池で飼っている鯉の餌になる。時には、鯉を炉で煮て食べる。
岩手 ヨコザ・オナゴザシキ(ヒタキザ)・キャクザ(ケグリザ)・キジリなど多数。 炉の中央の火を焚く箇所をヒビトとよぶ。雪沓をはいたまま腰を掛けるのによい深い炉はフンゴミ炉といい、土間から台所の板間にコの字型に切り込んでいる。 鉤に鉄瓶(カマ)を掛けるときにカマの口を北に向けない。口をキャクザに向ける。鉤の先をキジリに向けない。
朝食前に炉の灰を綺麗にならすことは女性のつとめであった。
宮城 土間から切り込んだ大型囲炉裏が一般的。 12/1日をミズコボシノツイタチといい、豆腐を豆の枝に刺して囲炉裏の4隅に立て水を掛けつつ焼く。火伏せといい、また、こうすると炉に水をこぼしても罰が当たらぬなどという。火傷をしないようにその豆腐を子供に食べさせるところもあるという。
山形 炉ぶちに物をのせてはいけない(家を売るときに限る)炉ぶちにあがったり、傷をつけてはならぬ(親の頭にあがり、傷をつけるのと同じだからといわれている。)
爪を火にくべてはならぬ。囲炉裏に火箸を三丁たてておくと、その一方から火事になる。
拾った銭を麻糸につないでカギノハナにつるしておくと火難をまぬがれる。
囲炉裏の火箸がヨコザに行くと晴れ、カカザにいくと雨(まじない)
福島 ヨコザ・カカザ・キャクザ・キジリ ウワロ(上炉)とシタロ(下炉)があり、ウワロは、ナカノマにあって晴れの日に使用。シタロは、台所にあり年中火を絶やさず煮炊きと暖をとるのに使用。 囲炉裏の神は、自在鉤の中にいるものと信じられていた。
ホド(火床)を湿らせないでおくと病気をしない。
茨城 ヨコザ(テイザ)・ワキザ(コシモト・ヨコザ)・キャクザ・キジリ。主婦の座をヨコザと呼ぶ地域がある。 カミイロリとシモイロリがあり、カミイロリは、中座敷にあって日常は使用せず、主に乾燥用に用いたり冬にはコタツにしたりする。シモイロリは、土間に近い板の間につくってあり日常使用する。 囲炉裏で燃やす木は必ず根元からくべることになっていて、燃やしてくさい木は神様が嫌うといってくべない。また、落雷した木は、決して燃やさない。
爪を火にくべてはならぬ。
栃木 ヨコザ・コシモト・キャクザ・キジリ カミイロリとシモイロリがある。
群馬 ヨコザ・コシモト・ヨリツキ・キジリ カミイロリとシモイロリがある。シモイロリは、山間型は、四方が板、山麓型では、三方が板、一方が土間。
新潟 ヨコザ ニワと呼ぶ台所に1つのイロリの家も多いが、2つある場合、下炉、上炉、シモジロ、ウラジロなどと呼びわけるところもあり、ウラジロは、炭火を使うので火棚はなく自在鉤(カギサマ、カギノハナ)も竹と金属の立派なものを使った。 脚気は、初雷のときに炉の灰を掴むと治る。
富山 ヨコザ・シモザ 囲炉裏のそばには、シバヤと呼ぶ薪置き場がある。シモザ(木尻)の後ろ側など。大正から昭和30年頃まで、籾殻釜戸も流行。 禁忌、囲炉裏の火は、二人で吹くな。囲炉裏へ茶や水を捨てるな。囲炉裏へ果物の種を捨てるな。いずれも病人が絶えない。囲炉裏の中につばを吐いたり鼻をかんではいけない。火箸につまずいてはいけない。切った爪を火にくべると親の死に目に会えない。
ねずみがいなくなると火に気をつけなければいけない。

カゼをひいた時、笠をかぶって風呂に入ればよい、火にあたればよい。
山梨 かつては、いろりのまわりに集まり、炉ぶちに食器を置いて食事をした。特に主婦のすわる座は重視され、シャクシドリ(杓子取り)などと呼ばれた。シャクシドリを譲るということは、飯盛りや米びつの管理をする権利を譲ることを意味した。 節分には、大豆12粒をいろりに埋めて、そのこげ具合で1年間の天気を占った。
オモッセイ(大晦日)の夜は、早寝すると白髪になるといって早寝をいましめ、囲炉裏に木の根っこなどをくべて大火を焚きながら家族一同で起きていたものだった。
福井 福井県は、若狭と越前の2国からなり、囲炉裏も少し違う。越前の囲炉裏にはカギナワ(鉤縄)が下がっているのに対し、若狭のいろりには、カナワ(カナワ・ゴトク)が置かれている。若狭の囲炉裏の横には薪置き場があり、小いろりと呼ばれた。越前では、囲炉裏を四座で囲むが若狭では一方に竃が作られている場合が多いので普通囲炉裏は、三座で囲んだ。 若狭では、囲炉裏のカナワ(金輪)を三宝荒神として崇め日常粗末に取り扱わなかった。囲炉裏がカギナワの越前では、三宝荒神の護符を柱に貼っているところもある。カギナワにいたずらに触るとうまく喋れなくなると言って触れさせない。正月3が日は、烏が苗代を踏むというが、常の日は、土足のままで囲炉裏で暖をとるようなこともある。
元旦 今庄の若衆は、大晦日の晩に宮ごもりをする。年が改まると裸で板取川に飛び込みみそぎをして社殿にもどり、用意していた縄に御神火を移し、それを持ち帰って囲炉裏の初火とした。
石川 ヨコザ(ヨコジャ)・金沢市西部では、ヨコザは、客、ムコザは、主人のところがある。シモザ・シモジャ・キノゴは、嫁・奉公人の座で他にオトコイレという男兄弟の座、ニョウボイレは、母親の座であった。 囲炉裏は、インナカ・イリンナカ・エンナカともいう。 囲炉裏は、神聖視され、金沢市西部では、カンサマ(鉤)をいじると子供がうまく喋れなくなるとか、元日に囲炉裏へ足を入れると苗代田に烏が入るといい、失せものがあるときには、藁でカンサマをからげると思い出すなどという。
節分 囲炉裏を塩祓いしてから恵方に向かって無言のまま豆を煎る。煎った豆は、神仏に供えてから撒く。撒いた後に歳の数だけ食べる。主人は、囲炉裏に豆を12粒並べ、焼け具合によって1年の天気を占う。
長野 主人はヨコザ(木曽ではナカザ、下伊那は男座敷、北信は上座、クダリムキ、東信は正面)

主婦はコシモト(木曽はタナモト、下伊那は女座敷、北信はカカザ、北信から東信にかけてキジリ、シモザ)

客は寄り付きや男座敷、マタザなどで主婦の対面

嫁や奉公人は、主人の対面に座り、キジリ、シモザ、ミズヤ、ヨメザなどと呼ばれた。
長野県の民家は囲炉裏のある間を中心として発達してきたことはあきらかである。囲炉裏のあるダイドコロの間に、ネマ(寝間)がつくという原型から、これにマヤがつきダイドコロに日常用の下座の囲炉裏と来客用の上座の囲炉裏と二つになってくる。このダイドコロは、大きい一間で結婚、葬式などの儀礼のときは、この二つの囲炉裏を囲んで行われる。この作りがさらに発展をしてザシキがつくようになり本棟作りになってきたと考えられる。

囲炉裏(ユルリ、ヒジロ、ジロ)は、三尺四方などの正方形に近い形が古い姿であるが、県南部には長方形のものもみられる。これは後世の変形である。囲炉裏は、地面から石を積み、土を盛り上げて床面とほぼ平らなところで粘土をつめ、表面をたたきにして仕上げたものが主であるが、県の北部では、深く踏み込み式になっているものが多い。
囲炉裏の縁は、オクラブチ・ジロブチなどと呼ばれ、くるみ、けやき、栗などの堅い木で作られ、よく磨かれている。ここには茶碗を置いたりするが、清らかなところとして大切にされる。囲炉裏の中央がやや窪めてあり、ヒノクボ、ホドなどと呼び、ここで火を焚く。これへ自在鉤(カギツケ、カギヅツ、カギ)が天井から下がっており、煮炊きの鍋や鉄瓶を掛けるのに用いる。この自在鉤の中ほどにあたる位置へ天井から大きなヒタカ(火棚)を吊るしてあるのが古い姿である。火棚は、天井へ火の粉があがるのを防ぎ、濡れたものを掛けて乾かしたり、山の栗を干したりするのに役立てた。
囲炉裏に近い柱を荒神柱として祭り、あるいは神棚に並べて祭る。鉤筒は、カギサマと呼ばれるほど神聖視され、囲炉裏、カマドあたりを掃く箒は、荒神箒と呼んで大切にする。囲炉裏を汚くしている家は栄えないといわれ、茶や湯をこぼさぬ、つばを吐かぬ、むやみと足を踏み入れない、炉縁を踏むことは主人の頭を踏むのと同じだからといってかたく戒められた。多くの家では年の初めに禰宜(ねぎ)を招いて屋敷神と荒神様を拝んでもらった。
大晦日の晩は、囲炉裏で大火を焚く。囲炉裏の大火は絶やしてはいけない。大晦日はもちろん、その他の日でも火種を大切にして、それを絶やさないことで家が繁栄するといわれた。正月は、若水を汲み囲炉裏の火を焚き湯を沸かして福茶を飲んだ。節分の豆をくべて、そのこげ加減でその歳の毎月の陽気を占った。お産のとき女性は別火の生活をした。
ホドに灰を多くし、使わないときは太い燃えさしを埋めて火留めにして、これから付け木に火を移して後に焚きつける。昔は、このようにして1年中囲炉裏の火を絶やさないようにしている家が多かった。
岐阜 奥飛騨 主人座(ヨコザ)、主婦座(ケチモト、カカザシキ)、客座(ムカイザ、ヨメザシキ)、木尻(スエザ、シモザ) ヒアマ(火棚)を吊る。囲炉裏はデイ・ウスヤの2箇所に作る。3〜4尺の正方形。カゲヅルを吊り、鍋で飯や汁を煮た。 囲炉裏は家の中心。中濃から南濃の一部以外では囲炉裏はあった。炉の火は信仰の対象で中飛騨大野郡丹生川村では家を持って以後100年も絶やすことなく火を焚き続けているし、北濃郡上郡明方村畑佐では火種を絶やすと家が燃えるなどという。

囲炉裏の囲いである炉縁は入り方の組み方をする(茶の湯に使う炉縁は人形)。材質は、桜、梨などの堅い木を使う。西濃坂内村では作り替えるときは前のより大きなものを作る。

炉に吊るカギヅル(自在鉤)は神聖に扱われ、引越しをするときには一番始めに運んで引越し先の家に吊る習慣があった。止め木には縁起のよいものを付けた。鯛、扇子、茄子、小槌など。白川郷から北濃、中濃、西濃の西部は自在鉤は使わずにカナワ(金輪)とかミツカナグ(三つ金具)ともいう大きな五徳を使った。

山岳地方では山から木を切り出す杣(そま)が、山小屋で囲炉裏を作った。小さな小屋でも囲炉裏は飯鍋用と汁鍋用の2箇所を作った。鍋は自在鉤で吊るした。小屋が大きくなると囲炉裏も数を増やした。

火種を絶やすことなく続けている丹生川村では嫁は実家の火種を松明に移して持参し、婿方の松明の火と混ぜ合わせて婚家の前で松明の火をくぐって婚家に入る。
お正月に中飛騨では清めといって炉に塩をまき火の焚きつけには1年中まめであるようにと豆がらを焚く。

北濃では節分には囲炉裏の火のまわりの灰の中に1〜12月までの12粒の豆を入れ焼け具合で天候を占った。白く焼ければ晴れ、真っ黒になれば雨というように。

鍋底に火の粉がつけば晴れる。
柿の種を炉にくべると火の神が祟る。
カギツルにつかまって喋るとどもりになる。
中飛騨 主人座(ヨコザ)、主婦座(カカザ、タナモト)、客座(キャクザ、キョウズカ)、木尻(キジリ、シモザ) ヒアマ(火棚)を吊る。囲炉裏はダイドコ・ニワもしくはイノマ・ウスギヤの2箇所に作る。3〜4尺の正方形。カゲヅルを吊り、鍋で飯や汁を煮た。
白川郷 主人座(ヨコザ)、主婦座(カカザ)、客座(ワキザ)、木尻(スエザ) ヒアマ(火棚)を吊る。囲炉裏はデイ・ウスナワの2箇所に作る。4〜5尺の正方形。金輪を使って鍋で飯や汁を煮た。
南飛騨 主人座(ヨコザ)、主婦座(カミガタ、カミザ)、客座(シモガタ、シモザ)、木尻(キノシリ、薪などを置き名称のない場合も) 下呂町ではヒアマ(火棚)を吊る。囲炉裏はシモザシキ・ダイドコの2箇所に作る。3×6尺の長方形カゲヅルを吊った。馬瀬村では竹製のヒアマを吊り、囲炉裏はオエザシキ、ダイドコの2箇所。3×3尺の正方形。アマカギを吊った。
北濃 主人座(ヨコザ)、主婦座(タナモト)、客座(ムコザ、オトコザ、スエザ)、木尻(スエザ、キジリ) ヒアマ(火棚)を吊る。3×3尺の正方形。白鳥町ではウケカタに作る。八幡町と明方村ではダイドコロに作った。金輪を使って煮炊きをした。
中濃 主人座(ヨコザ)、主婦座(ナベザ、タナモト)、客座(シモザ、ムコザ)、木尻(ホタオザ、ヒノコ、薪置き、小さなクドを作るところも)、囲炉裏のない地域もあった。 板取村ではアマギを吊り、ダイドコロに作った。2×3尺の長方形。金輪を使った。根尾村ではヒノカキを吊りダイドコロの中央に長方形のものを作った。自在鉤を使った。八百津町では台所の中央に作った。金輪と自在鉤を使った。御嵩町では台所に作った。3×6尺。コザルカギを使った。関市では座の名称はなかった。岐阜市では囲炉裏は養蚕用。各務原市には囲炉裏はなかった。美濃加茂市では座位の名称はないが、主婦は戸棚の前に座った。シモダイドコロに長方形に作り、コザルカギを使った。
東濃 主人座(ヨコザ)、主婦座(イワテ、タナモト、ナベジロウ)、客座(キャクザ、ヨツギジロウ)、木尻(ダジリ、シモジロウ、薪置き) 土岐市では座位はやかましくなかった。コザル(自在鉤)を使った。串原村では居間の東側に作った。3〜4尺の正方形。中津川市では居間の近くの土間に3×6尺のものを作りカギを使った。徳山村では3×3尺の正方形を作った。
南濃・西濃 主人座(ヨコザ)、主婦座(ナベザ)、客座(シモジロ)、木尻(ヒゲノシリ) 坂内村ではデイに3×3尺の囲炉裏を作りアマを吊った。カナゴ(金輪)を使った。春日村ではヒナマに3×3尺を作った。江戸時代はミツカナグ(金輪)を使いその後は自在鉤。関ヶ原市、大垣市、南濃市に囲炉裏はなかった。
静岡 ヨコザ・カミザ・ムスコ(キャクザ)・シモザ(キジリ) 駿東ではヒジリ・イルリ。伊豆や遠江の一部ではユルイとも呼ぶ。大きさは90cm四方が標準。作り方は、カマドと同じように大きな自然石を芯にして壁を突き上げ周囲に直方体の台石を置き、その上にオクラブチと称して欅などで枠を組む。駿東郡の大御神ではこれをマッコウの木組みと呼び客座と木尻の交差する隅(鬼門)は組をはずす。火事の際に全焼しないようにとか、災難避けのための鬼門外しだという。
炉の中央には、弓型の足のついたテッキがあって餅や魚などを焼いた。天井からは、鍋を吊るすツツッカギとかジザイと称するカギを吊り、火点から約2mぐらいのところに竹を編んだ火棚を設けて火の粉が舞い上がるのを防いだ。
囲炉裏を汚しておくと病人が絶えない。爪を火にくべると気狂いになる。
三島市周辺では、新築して初めて炉を使用する際には、橋を渡らないようにして七軒から灰をもらい集めて火を熾す風習があった。伊豆の賀茂郡ではこれをシチケンモライという。
節分には、豆を12個(閏年は13個)いろりに並べ、なすがらなどを燃やして各月の天気を占った。遠江では、年越しの晩から元旦の朝にかけて、囲炉裏に太い薪をくべてネンネンボタ(年々薪)をたくところがある。
愛知 ヨコザ・カカザ(オッカァザシキ)・ヨリツキ・アニザシキ(キャクザ)・キジリ・シモザ 「横座に座るのは猫馬鹿坊主」。横座は、奥の位置、その左がカカザ・オッカァザシキで戸棚の上の恵比寿様の前になる。右は、ヨリツキ・アニザシキで客座になりヨコザの向かい側のニワに近いところがキジリ・シモザで嫁の座である。 北設楽地方では、大晦日の囲炉裏の火はマンネンビ(万年火)で正月3日間は絶やすものではないといって、ひと抱え程のほだをくべた。節分には、豆を12個くべて年占いをした。豆まきの残りの豆は、自在鉤に吊るしておいて初雷のときに食べる。これをユウダチマメ(夕立豆)という。
三重 ヨコザ・カカザ・キジリ 囲炉裏が多く残っているのは伊賀で中でも阿山町の内保という村は、一村、ほとんどかやぶきの家ばかり。囲炉裏は、台所の板の間に多く、居間にもある。 嫁はキジリからもらえ。
滋賀 間取りが食違型と整型の2種類あり、それに伴い囲炉裏の配置も違った。 節分に囲炉裏で豆を撒くときに前もって月々の豆を定めておいて、その飛び加減で1年各月の吉兆を占った。それをヨノナカダメシと呼んだ。
京都 ヨコザ(オヤジノバ・ショウザ)
ナベザ(オンナザ・オナゴザ)
タテザ(キャクマ・キャクザ・ムカエザ・ヨコザ・キジリ)
キジリ(シカマ・ニワに接す・クドに接す)
囲炉裏は、地域によってユルリ、ユルイと呼ぶ。火具は、自在鉤のところより三脚のカナワのところが多く、カナゴサン、カナワサンと呼び、地域によっては、コウジンサン、サンボウサンと呼ぶ。また、アマ、アマダ、アマダイと呼ぶスノコ棚を囲炉裏の上にかけるところも多い。 出産・月経・死亡に伴う穢れを忌む観念と別火の慣習は、京都に限らず全国にあった。土間に別の炉を設けて食物調理は別にしていた
大阪 ユルリ 厄年の親類・知人などに火箸を一対贈るところも多い。前厄に火箸、本厄に十能。一年間、神棚にあげておく。
兵庫 ヨコザ
タテザ(キャクザ)
カカザ(ナベザ、シャモジザ、チャットンザ)
キジリ(シモザ・キジザ)
など
・薪は、シモザから入れるが、火は、シモザから入れなでヨコザから入れる。鍋等の掛けおろしは、ナベザからおこなう。
・子供が産まれた家では、但馬では、ナンド、あるいはユルリの上のアマダにマオドシといって刃物を33日の宮参りまで置いた。マオドシの替わりに囲炉裏に33日間火を焚くことにより悪魔が入ってこないようにした地方もあった。
・大晦日の夜は、囲炉裏端で特別の食事をした。夜更かしをして囲炉裏にどんどん木をくべて火をたき、火は絶やさぬものとされた。火が消えぬように堅木の火に灰をかぶせておく。正月の朝、付け木で黒豆のからに火をつける。その火で雑煮を炊いた。
いろりの禁忌
・囲炉裏は、但馬ではユルリサンと敬称され、神格して、けがれを忌み、清浄を保っていた。
・囲炉裏に食べ殻を捨ててはいけない。火床がけがれる。
・柿の種、ゆずの種が焼けると罰が当たって目がつぶれる。
・土足のまま、囲炉裏に踏み込んで暖をとることは許されるが、素足を囲炉裏の中に入れることは許されない。
・わらじ、クミカケ、ツマゴ、ハバキなどは、囲炉裏の上で乾かすが、洗濯物を乾かすことは許されない。
・カナオサン(五徳)は、わらすべで叩いても折れるから、大切に取り扱え。
・囲炉裏で火をもてあそぶと、寝小便をする。
・薪を逆木(木の末から)に燃やすと不吉である。柴は、逆木にくべないと貧乏する。
・カナオサンの上から木をくべるのは不吉である。
・爪や頭髪を火にくべると、囲炉裏がけがれるばかりでなく、悪臭に悪魔が集まる。
奈良 ヨコザ(オクザ・タカバ)
キャクザ(ウラザ・マエザ・ヨコバ)
年寄りの場所をキシザ
チャケンザ、デッチバ、ヨメバ
いろりは、3尺四方で縁は檜で作られた。中をヒツボといい不浄不潔を嫌う。

いろり、かまどの火のけがれることをさけるため、出所不明の流れ木はたきぎに使わなかった。いろり、かまどの薪は、ひと冬越す量は、家々でわかっていたので、立ち木を親類、近所で求め、日を決めて共同で川に流して家に運んだ。これをホタナガシという。
火を二人で同時に吹いてはならぬ。目がつぶれる。
出産後には、いろりやかまどのヒガエをするところもあった。
葬式の後、食物をたべつくしいろりのヒガエをした。
ジザイカギをジンジャイ、ジザアという。カサオ(五徳)を用いるところが多い。

正月の準備として12/13日にいろり、かまどの灰を新しくしてヒガエもした。大晦日には、いろりをどんどん燃やしてホタマツリをする家は栄えるという。
正月三箇日は、いろりにくべる木をホタサンといって特別大きいのを使った。

和歌山 ヨコザ
キャクザ
ザシキやナンドを背に畳のある土間に面してすわるのが主人の座でヨコザといった。オモテを背にする場所をキャクザ、その正面を老人・子供たちの座と考えられるが、この逆もある。女性は、いろり近くに座を占めることを許されず、畳の焚き口で火の番をするものとされた。主婦は、いろりの端の土間にしゃがんでザシキの客に応対する習慣のある地域もあった。
囲炉裏や釜は、荒神の祟りを恐れて不潔物を焼き焦がすを禁じ、足袋をあぶり乾かす節も汚物が入らないように注意をした。
節分の夜「福は内」とまいた大豆12粒を拾って、1粒ごとに「1月2月」と唱えながら火に入れ、大豆が白く灰になった月は晴天が、黒こげのままならその月は雨が多いと占った。
暮れの13日は、すす払いをしてジザイカギを綺麗にした。
大晦日には、暮れの13日に迎えた直径10cmもある樫の木のヨツギをいろりの四隅に立てて火を焚き、これを翌朝元旦の火種とする。この火を釜に移し雑煮を炊いた。
田辺市芳養では古くから犬は3脚、五徳は4脚といわれていたが、弘法大師が物を書くのに笑いという字を忘れた時に犬が簾をかぶり歩みきたので、犬が竹をかぶれば笑いの字となると悟り、大いに喜んで五徳の脚を3本に減じ、その1脚を犬に与えて4脚としたと言い伝えられている。

昭和の初め頃まで西牟婁郡の僻村では何十年と囲炉裏の火を絶やさない家が多かったが、今では絶えてしまっている。
鳥取 ・ヨコザ
・ナカエ、チャセンザ、チャタテザ、ナベザ、ニシザ、ナカエ(ヨコザから見て左側)
・マロトザ、ヨリザ、タテザ、ケンザ、ヒガシザ、ヒトザ(ヨコザから見て右側)
・にわ、シモザ、キジリ、ヒジリ(ヨコザの対面)
ヨコザの背には神棚があった。ヨコザは、主人の座でここだけにござや畳が敷いている。来客の時には、タテザにござを敷いてもてなした。
大晦日には、大きな木の株をくべて火を絶やさぬようにした。気高町では、夕食前に家族一同が囲炉裏端に集まり、ハネリの枝を火にあぶり「ゼニ、カネ、ゼニ、カネ」と唱えながら、その火に暖まる習慣があった。
節分には、まいた豆を囲炉裏の灰に12個並べて焼き、その年の天気を占った。
正月15日にあずき粥を炊き、神に供え、家の者は萱の箸で食べる。この箸を囲炉裏の灰に折って立てるところもある。
囲炉裏に足を投げ出すとか、火箸で火遊びをするとか、つばを吐くなどは強くいましめた。みかんの種を火にくべると七代貧乏する。
手桶を持ってヨコザを通るな。
爪を火にくべるとカワキノヤマイになる。
炉の中に唾を吐くと糖尿病にかかる、狂人になる。
出産は、血忌(ちいみ)として別火で食事をさせた。
12月13日には、ジザイカギの縄をきれいにして、すす払いもした。また、日野町では、この日の夜に、囲炉裏端で1年間使う箸をけずった。
島根 ・ヨコザ
・カカザ、ワテザ、チャネザ、コシネ、チャノマ
・キャクザ、オキザ、ムコウザ
・キジリ
山間部などでは、台所の端に設けた囲炉裏の隅にクドを設け、囲炉裏とクドのたきぐちを一致させているところも少なくない。
岡山 大晦日の夜に、大豆を囲炉裏の灰に12個並べて焼き、その年の天気を占った。黒く焼けた月は、天気が悪くなる。また、大晦日には、囲炉裏に太い堅木をくべてよもやま話をして火が消えないように寝ずの番をする。 米が少なくソバを食べるところも多かった。囲炉裏の灰でソバダンゴを焼いた。四足獣を食べると神様に罰があたるといった。牛馬の肉を囲炉裏で炊くことは火の神、土公神、オカマサマに叱られる。
広島 ・ヨコザ、サキザ(客・主人)、ケイザ、カミザ
・ヒジリ、カミザ、ワテ、オナゴザ、ケンザ、オクザ、ムコウザ、セドザ
・カカザ、シモザ、オキテ、オトコザ、オキザ、オカミザ、ナカザ、カッテ
・キジリ、シモザ、チャザ、
大晦日は、眠らずに火を焚き、この火で焼いた餅を食べると健康になるという。節分には、大豆12個をいろりで焼き、それぞれのつきの天気を占った。芸北では、月焼きといい、年の豊凶を占った。
山口 小野田市のあたりでは石炭が取れたので囲炉裏では、薪の替わりに利用した。
節分には、大豆12個をいろりで焼き、それぞれのつきの天気を占った。
徳島 ティスザ(亭主座)、ムコザ 隠居が母屋に招かれた時はうちの炉辺には坐らずオモテの炉辺の上座からムコザにかけて坐る。但し、祝い事などで他家のものが招かれる時にはティスザ(亭主座)に坐るのは戸主であって隠居者はウチにいてこの座に出ないのが普通である。
囲炉裏の上に火伏せの守り札をはる。女の生理中は火が穢れるといって食事を別にし、終わると新しく囲炉裏の火をつけ替えた(明治まで)。晴れの日には塩を供えて火を清める。
家の自在鉤をくぐると失せものは三日以内に返って来るといわれる。
祖谷地方では囲炉裏の縁にたこやきのように小さなジャガイモを3〜4個串に刺して立たせて、そろそろ焼いたものに赤味噌を塗って食べる。形がデコ〔木偶〕に似ているので、これを食べることを「デコをマワス」という表現をする。
戦前までは、囲炉裏の縁で眠ることが多かったので祖谷地方では布団をかぶらないことも多かったが布団のない家はなかった。
香川
高知 山間部の村を歩くと部落の入口の路傍に囲炉裏のある茶堂がよく建っており、そこでは村人が道行く人を接待したり、お遍路さんなどの宿泊所としても使われた。 大晦日、囲炉裏には径五寸ぐらいの樫や榎の薪をくべて火わ燃やす。これをフクゼンといい、昔は、正月七日まで、この火を消さないようにしていた。フクゼンの燃え残りは、清らかな所へ保存しておき、田植のご馳走わ炊くのに用いている。福の神は寝ていると素通りするからといって、夜遅くまで家族一同が囲炉裏を囲んで語りあかす風があった。
福岡 イノコ ある地区では11月の1番目の亥の日を一番イノコと称し、各家庭ではご馳走を作り祝った。この火から各戸では炉を開いた。 鍋の尻に火がつくと明日は天気。
暮れの30日に山へ行き、囲炉裏にくべる大きな樫の木を伐ってくる。これが長くもつほど、米がいつまでもあり縁起が良いとされた。だいたい1月15日くらいまであった。
大晦日の夜は、夜を徹して囲炉裏の火にあたった。
佐賀 ヨコザ・ヨコザ・チャニンザ・チャネンザ・チャザ・ナガイザ・ヒタキザ・タナシタ・ユルイジ・オコウジンサママエ・ネコザ 元は広い地域にあったが、燃料の関係からか元来は佐賀平野にはなかった。
囲炉裏の座は、ヨコザ・ヨコザの両側は名称のない場合も多い。奥よりが主婦の座でチャニンザ・チャネンザ・チャザ。入口寄りが客の座でナガイザというところもあり子供が坐ってもよかった。土間ぎわの下座はヒタキザ・タナシタ・ユルイジで使用人が坐るとかオコウジンサンマエで嫁や女児が坐るとかネコザで猫がすわるところで薪木を置くなどという。
長崎 ダイドコロ・タナモト・ムカエ・キジリ 囲炉裏は、台所に作る。中に金輪をおく。すみにカガリ(鉄製の棒の上に網があり、そこでこえ松を焚いて照明にした)自在鉤は用いない。チュージキを背にしたダイドコロが主人の座、その横のタナモトが主婦。向かいのムカエが姑。土間を背にしてキジリが子供の座。 囲炉裏のなかの金輪は、カノーサマといって大事にする。
宮崎 ウチネと呼ばれる居間(土間の隣)三尺四方か三尺六尺の囲炉裏を構えて、三尺から四尺の長さに切った薪を燃やしてすべての煮炊きをした。自在鉤も吊るされた。 妊婦は囲炉裏に近づいてはいけない。
年越しの晩にいろりにくべる薪をトシタロウ(年太郎)というが、その燃え残り三、四寸のものを玄関の戸袋の下とか、床下に入れておくと、盗人が入ってこない。いわゆる泥棒の番になるといわれている。この燃え残りを何年も前から保存している家もある。
熊本 いろりに爪をくべると親の死に目に合わぬ。囲炉裏に耳垢をくべると耳病になる。鼻をかんだ紙を囲炉裏に捨てると赤鼻になる。
鹿児島 ヨコザ・チャノンザ(カカザ)・キャクザ・ドッジイ 囲炉裏は、三尺四方が多い。へりを泥でかため、板の枠をつけて食器などを載せるようになっていた。ズゼカギ(自在鉤)は、汁物や湯を沸かすのに用いられ、五徳やクドは飯炊きに用いた。囲炉裏のあがり口には、明かりをともす台を置く火棚がある。 トシノバン(大晦日)には、ジロ(囲炉裏)の掃除をして大きな木をくべて新しい火を焚く。これをヒノトギ(火の斎)といっている。