『熊楠研究』第五号

編集後記

◇熊楠の資料調査にかかわりはじめて、いろいろな所でいろいろな出会いや結びつきがあるものだ、とつくづく感ずる。私の研究仲間の妹さんが熊楠と交流のあった宇井縫蔵氏のお孫さんと同僚で、縫蔵宛の熊楠の手紙を所持されていたことが分かった。熊楠邸から縫蔵の手紙も見つかっており、対応するものがありそうで、縁とは不思議なもの、とあらためて思う。 ◇このような縁の不思議さを追究していたのが熊楠である。本誌がさまざまな縁を仲立ちする媒体になることを願ってやまない。 (小峯)

◇田辺市における南方熊楠研究所(仮称)の設立に向けた活動は急ピッチで進んでいる。資料研究会のメンバー五人も参加して昨年四月に始まった建設委員会は、この号が出る頃には答申をまとめているはずである。開館は二年後、二〇〇五年度を予定。 ◇旧南方邸に隣接し、蔵書約一万二千冊の他、約三万頁に及ぶ熊楠のノート類、約一万通の書簡類を収めるこの研究所は、個人の資料館としては最大級のものとなるだろう。 ◇願わくばこの研究所が、膨大な熊楠資料を、未来のさまざまな分野の研究に架橋していくものであってほしい。それは『熊楠研究』を編集する私たちの共通の願いでもある。 (松居)

◇南方熊楠旧邸に建設される予定の研究施設にあわせ、『熊楠研究』も当初の目的、使命を果たし、態勢を変えるべき時期にきたようだ。1号は編集のほとんどを原田が行い、2号から4号までは、飯倉、原田によって編集作業を行ってきた。今号は古谷、田村が担当したが、7号より、研究施設の研究員が編集実務を担当すると聞いている。 ◇今後は、旧邸所蔵資料の翻刻などが大きな部分をしめることになるだろう。論文が少ないのが残念である。諸氏の力作論攷の投稿現場になることを期待したい。 (原田)

◇今回は熊楠と高木の往復書簡の打ち込みにずいぶん時間をとられた。しかも乾元社版のさいの翻字原稿しかないので、おかしいと思いながらも解決できなくて、もどかしかった(これは柳田との往復書簡でも同様だったが)。それでも書簡に見られる熊楠独特の語り口は楽しめたし、一方では身辺に秘書的な役割を引き受けてくれる人物をもたなかったための強引な依頼ぶりも、すでに始まっていたことが分かった。 ◇それと小畔宛書簡の整理をしただけだから、わたしはいわば原稿の下ごしらえを手伝ったにすぎず、編集の雑務一切は田村さんと古谷さんにまかせる結果になった。表紙の色刷は五冊目で最初にもどしたが、初心は守られているのだろうか。 (飯倉)

◇今号は、研究会外の方からの寄稿が少なくなった。地道な資料紹介が過半を占めたことと併せ、結果として、読み物としては地味に見える目次になったかも知れない。 ◇編集責任者自身の遅筆と怠惰故に、ご寄稿者諸氏との意志疎通が適切を欠いた点と、一次資料確認まで含めた編集部作業をきわめて短い時間でしたあぶなっかしさは、反省事項として次号責任者に申し送りたい。 ◇翻刻などで飯倉先生に多くを頼ったことは従来同様である。掲載記事の細部までシニア研究者の厳しいまなざしに見守られている本誌の編集環境は幸いだが、無理な日程を編集者の個人芸でこなすようなことは今号までとなることを願う。 (田村)

◇今号は入稿以降もさまざまな修正に追われ、担当の山崎さんには最後までご迷惑をおかけした。雑誌はあくまで内容の充実こそが発展の基礎である。興味ある新資料はあったが、独立論文が少なかった点は憾みが残る。今後はさらに広い分野からの力作掲載を期待したい。ご協力を乞う。(古谷)

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