『熊楠研究』第四号

編集後記

◇南方熊楠には伝説がつきまとう。彼を題材にした小説・漫画などでの誇張された記述も、しばしばそれを助長してきた。 ◇今号には、期せずしてそうした「熊楠伝説」にメスを入れるような論考が揃うこととなった。巻頭の小泉論文は英文『方丈記』においてディキンズの役割が決定的なものであったこと、志村氏の通信は熊楠の漢文の読み方に疑問の残ること、雲藤論文は、晩年の熊楠が記憶力の減退と戦いながら学問活動を行っていたこと、をそれぞれ明らかにしている。 ◇『熊楠研究』を編集する私たちの目的は、何も熊楠の能力を貶めようとすることではない。ただ、肥大化した伝説の中から「等身大の研究者」の試行錯誤の跡を救い出さなければ、熊楠の遺産を未来に活かすことはできないと考えているだけなのである。(松居)

◇『方丈記』の冒頭、「ゆく河の流れは絶えず」、この世に何ひとつとどまるものはないとある。鴨長明が無常という世界観を通してこの世に伝えたかったことは、世間の虚仮に惑わされることなく一個人として、この世とわたりをつけようとする精神であった。そうした強靱な精神を、大蔵経のもつ仏教の世界観が支えていた。 ◇熊楠は翻訳をしながら、鴨長明の底に蠢動する無常観にいかに触れたのだろう。熊楠にとっても、この世といかにわたりをつけるか、苦闘の連続であった。研究と世間の虚仮とをどこかで接続させ、この世そのものを逆照射するからくりに生涯を捧げたようにすら思われる。 ◇『熊楠研究』も四号となり、研究の蓄積を感じさせるものとなりつつある一方、田辺市の助成によって刊行されているとはいえ、経済的には極めて厳しい状況にある。我々にとっても、研究と世間との関わりには苦闘がある。熊楠に対する研究への、先を見た温かいご支援をお願いするしだいである。(原田)

◇一年前までは、年末年始の何か月かは別の学会誌と本誌の編集・校正の仕事がかさなり、それに自分の原稿まで加わると、いちばんせわしい季節であった。校正というのは、気力の必要な、肉体的な仕事だと切実に思う。今年は、学会誌の方の役をやめた機会に、こちらもやめたいと期待していたが、今号までは部分的に手伝う結果となった。 ◇資料調査の方では目録刊行までの作業はまだしばらく続くわけだが、田辺市での研究所設立に向けた態勢に対応して、新しい研究集団の機関誌として本誌を活用していくことになろう。もともと昔からのかかわりあいの延長で、ちょっと手伝うつもりだったのに、十年をこえてしまったのは居心地がよすぎたのだろう。梅の花の散るのが気になるのも年のせいか。(飯倉)

◇東京・翻字の会に参加して三年近くになる。この間、当方の知識不足から翻字には苦労したものの、直接熊楠の感情の機微を読みとっていくのは、こころよい体験であった。このあたりが書簡文学とでもいうべきものの醍醐味ともいえようか。今後はより多くの会員を求めて、この快楽を分かち合っていきたいものだと考えている。 ◇今号から本誌の編集をてつだうことになった。飯倉氏ものべておられるように、校正はたしかに肉体労働の一面をもつ。しかし、校正の基本はやはり対象たる原稿への知識の多寡による。その面ではまだまだ、飯倉氏に依存する点は大きい。今後も協力をお願いするしだいである。(古谷)

[前号へ] <p> [次号へ] <n>

『熊楠研究』4号のページへ <b>

『熊楠研究』のページへ <s>

サイトのホームへ <0>