『熊楠研究』第六号

編集後記

◇牧田健史氏は、これまで実質的に資料研究会ロンドン支部のような役割を果たしてこられた。今号巻頭の文章は、熊楠の長期の英国滞在についてわかりやすく謎解きをした力作である。それにしても、氏のロンドン滞在は四半世紀におよび、長期という意味では熊楠の比ではない。◇東京・関西の研究会などを通じて、若いメンバーが徐々に増えつつある。大学院などに所属する女性や理科系の研究者の参加は、会の将来にとってたいへん喜ばしいことである。一方で、会長の飯倉先生の南方熊楠特別賞受賞という慶事もあった。こうした先達に築いていただいた質の高さを維持しつつ、若い人が大いに活躍できる誌面作りを考えたいものである。

◇以下、報告を二件。南方邸隣地の研究施設について、昨年十月に設計コンペの審査員として参加した。さまざまな提案があり、デザインを重視するか使い勝手を重視するかでは大論争となった。結果的に、資料の保存・公開の便宜という主張を尊重していただいた審査委員の皆様に感謝したい。◇報告のもう一件は、本年六月から七月にかけて、京都の龍谷大学深草学舎パドマ館で南方熊楠展が開かれることになったことである。南方二書を中心に、那智時代から田辺時代初期の熊楠の活動に関して、資料展示の他にデジタル・ワークショップやビデオの上映などを予定している。(松居)

◇先日、東京から南方邸を訪問されたご夫婦があった。ご主人は大学名誉教授(中世史)、ご夫人は近代文学研究家とのことで、お二人とも話題が豊富で、ずいぶん話し込むことになった。◇本誌既刊号をご紹介すると、ページを丹念に繰りながら、ご自分も中堅の頃に学会誌編集をされていたとのことで、広告集めから始まる当時のご苦労をいろいろお聞かせいただいた。紙の質がよいというご感想なども、そうした方からだと、違う重みを持ってくる。◇寄稿者たちの意欲のままに増ページをお許しいただいている顕彰会と田辺市には、改めて感謝したい。それにしても、この方たちのような潜在的な読者・理解者はまだ多数いるはずで、そうした方々に本誌の存在が知れ渡っていないことも、編集部の今後の課題である。(田村)

◇蔵書目録の仕事が大幅にずれこんで、雑誌のまとめと重なってしまい、両方にかかわっていた田村、古谷のお二人はたいへんだった。それを傍目にながめながら、わたしは早い時期に頼まれた何本かの校訂を手伝っただけで、あくせくと目録の方をいじりまわしていたため、編集の雑務にはあまり手出しができなかった。◇本誌の最初のころ、学会誌とあわせて二つの雑誌の雑務をかかえ、わたしも四苦八苦していたことがあった。やはり誰かがそういう役割をになわなければ、これだけの雑誌は出来上がらない。それを支える編集委員全体の態勢も重要だ。雑誌をとりかこむ状況の変化のなかで、本誌を大切に育てていきたいと思う。(飯倉)

◇10年を一昔というなら、バブルはもはや歴史である。だが、その価値観は今に進行している。というより、社会に深く浸透して奇怪な貌をしたさまざまな事件を引き起こしているように思える。半世紀ほど前にはやった不条理という言葉がいっそ懐かしいほどである。こんな時代に「熊楠研究」とはいかにも地味な存在であろう。しかし、地味ではあっても着実な歩みこそがいま各領域で望まれていることではないか。(古谷)

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