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書簡 15 ロンドン日記の翻字

『岳父・南方熊楠』第四章より》

樫山茂樹様

昭和四十八年三月二十二日夜

岡本清造拝

 拝啓 熊翁(青年期)の倫敦滞在中日記の転写中の一八九四年の最初頁にメモランダがあり、日記記事とは別に多分年頭偶感とでもいうべき箴言が記されている。全集中の日記記事には載せられないと思うので、一、二行をここに写し出して、青年熊楠の勉学の壮志の一端を貴君にだけ紹介いたしておこうと思う。

  日夜一刻モ勇気ナクテハ成ヌモノナリ

  ゲスネルノ如クナルベシ

  大事ヲ思ヒ立シモノ他ニカマフ勿レ

  厳禁喫烟

  往時不追来時不説

  禹ハ寸陰ヲ惜ム

  学問ト決死スベシ

  晩学如夜燈尚勝無之

 渡米に際して青雲の大志を謳い、米に在ってゲスネル伝記を読んで、我れ日本のゲスネルたらんと立志し、堅固にその気を振い起した彼は、海を渡って英京に立ってその志がいよいよ堅固に不抜の奮励努力いたしていたことは、以って想像に難くない。旧式と評せられるかも知れないが、青年期の壮志を堅忍不抜に貫き徹した点は、矢張り男の鑑と尊崇し模範とすべきでしょう。近頃小生などなまけ癖がつき、前便に申した如く、恥しい次第です。三月十七日夜十二時認。

 連日連夜熊翁日記の抄写を続けてこの処中々の勉強振りです。今年一年間との約束ですから、そう急がなくてもよいのですが、次々と樹てている計画を実行するには予定の仕事は早い目に早い目に片をつけて、自分の身を軽く自由に活動(?)出来るようにしておかぬと、好事魔多くして思う半分も出来ぬものと思うて、只今の処調子よくエンジンがかかっています。一八九四年頃の日記に毎度「厳に喫烟喫茶を禁ず」と喫烟喫茶を制止することを断行しようと努力に苦労しているさまがよく記されている。喫茶とは酒呑むことと読解せねば意味が分らないが、一生烟草を放さなかった翁が、又大酒斗酒を辞さなかった翁が、この禁酒禁烟は余程苦しかったらしく、屡々禁を破っている。自ら「本日破戒」と書き、禁酒禁烟できないような奴は大丈夫ではないと自己鞭撻している。読んでいて、書いていて、つい落涙を禁ずることが出来ず、昨日はお彼岸なので、文枝を促して外出。例年の通り浅草観音さんへ参詣、祖霊を慰めてきた。ここ十年程には、春秋二回のお彼岸には浅草寺参拝が例となって実行し続けている。小生何も抹香臭い宗教凝り人ではないが、この浅草観音さんという所に全国からの上京参詣者を初め東京都内の上下貧富の差別なく大群集の集り動くところで、而も喧嘩や争闘など殆ど全くなくて、平和に参詣の一日を楽んでいるらしく見える平等平和の境がここに出現しているように思えて面白い。ただ一つ頭を低めて瞑目、一念をこめる一瞬のみが小生の浅草詣でなんですが、それでよいのではないかと思っている。僅か一寸八分の金仏像が長い年月にわたりこれだけの人数をこの一ヶ地点に集めている大威徳を発揮しているところに何とはなき不思議を思わずにはいられない。昨二十一日には多分百万人を下るまいと思われる大勢の参詣者で、それが歓楽境浅草界隈を賑かにしている。先日御恵送下さった「熊野古道王子道」でも一時は蟻の道とさえ呼ばれた盛況を呈示したこともあった。この現在の浅草観音彼岸中日の大群集参詣者を思うて、古き時代の中辺路のことを想うています。一体こんな人間の動きを起させる原動力は何かと考える考えが一瞬参詣道(仲見世という)を歩きながら頭を掠めた。文枝はこの仲見世が車の通行のない歩き易い道と申して喜んで左右のオミヤゲ店をのぞき廻っています。昨夜は遅く迄日記転写の仕事をしつづけた。一寸思いついたままを書き綴って貴重なお時間を汚して恐縮おゆるし下さい。(後略)

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