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書簡 11 テレビ「シダの世界」について

『岳父・南方熊楠』第三章より》

樫山茂樹様

(昭和四十二年)一月十五日夕食直前

岡本清造拝

 〔欄外〕十一時に一寸床を出て、腹をこしらえて、按摩をとって、そのまま眠り込んで起されたのが、丁度六時。江川の亡母が生きていたら、涙を流して叱ることでしょう。文枝は心やさしい女丈夫だから、按摩のあとは眠るとよく利くと申してよろこんでくれた。

 謹啓 今日は日曜日で、成人式の日、重複休日にふさわしく小生丸々一日睡眠休養の日で、ただいま山神の聖なる御声「シダの世界が始まるヨ」というので夢を醒されて、飛び起き、テレビの前に正座して、二億年前のシダの生活様式についてのテレビを興味深く見入りました。これで、従前小生が全くの素人として、しかし皆さんに申してきたいろいろのことも、ポイントを正しく指していたということを省み、かつこれからのわれわれの素人芸の仕事のいろいろをも考えました。

 一、「植物が花をもつまで」というような題で、顕花植物の出てくる前の隠花植物の生活していた世界―植物進化―のことを素人なりに書き記すこと。

 二、これは尾鷲の公民館内で貴殿の御来着を待つ間に、そして御来着の後にまで及んで小生がその方専門の先生方を前にして、臆面もなく申し上げたところでしたが、主要なシダ植物について、その前葉体、幼芽、成芽(こんな用語はなかろうが、その種の特徴をすでに明らかに示すようにやっとなった芽)、その後本葉を出し初めた嫩芽、本葉、それから実葉、等々というように、一種毎にその生活史の段階々々を物語るような植物態(体)の採集・整理によるシダ類標本彙集の集大成を実現すること。

 三、スケッチ、顕微鏡写真、その他の表現方法によるシダ植物生活の記録集の作成。

 四、通俗的(科学的ではないという意味)に堕する嫌いがあっても、シダの見た目に美しい、あの夢幻的な姿・形・色を利用し、シダ植物を主とする石庭(小さな規模でもよい)―勿論樹木の蔭―を造園芸術上すぐれた芸術として造形すること。その他絵画、彫刻などの模様に利用すること。

 小生数年前からシダ植物園開設を考えるについて、常にこのような四方面の事業を頭に描きながら、まずシダ植物植物園を自然植物園の形で実現しようと、前々から申し上げ、御力をお願いいたして来たわけで、これをつくって成功を収めることができたなら、それぞれの方面の知友をたどって、その他の事業にも着手し、一時にシダ全盛時代の花を咲かせようなどと、遠大無限のタアイもない夢想を抱き続けて来た次第で、これ迄にも貴殿にはそれとなしに申し上げてきたこともあろうと思いますが、今度計画の高山寺山内および近傍―奇絶峡から救馬渓観音あたり―を一帯とする自然シダ植物園の実現の暁には、どこかに適切な建物を立てて、そこを中心として前記の諸事業とじっくり取組むようなことにいたし度いと思っていました。今日の「シダノ世界」のテレビを見て、この夢はもう夢に終わらせてはならない、きっと近いうちに実現に着手せねばならぬ事業とせねばならぬと覚悟をするようになったわけです。(中略)

 シダの一種のしのぶは忍、忍の一字が小生の守本尊となっていますが、その反面に必ず成すの意気の強いものを満身にひそめています。このシダ研究事業についてこれまでトギレトギレに申送って来た事共をずっと綴ぎ合わせて顧みて頂くならば、本状に一纏めに書きあげたことが決して小生は単なるその時だけの思いつきではないことを十分御わかり頂けると思います。大きくひろく地下茎が伸びている事業計画であることをおわかり下さって、その上で当面の一つ一つの仕事を着々と実現させて行き度いし、又行くように懸命の努力を致そうではありませんか。小生は自分を決して誇大妄想狂者とは思っていませんが、その反面決して自分を大きな力の持主と自惚れてもいません。ただ、正大な目標を清く正しく大きく一歩一歩実直に実現して行くについて、諸方の御支援と御協力とを仰いで小石を数多く積み上げて宝塔を築き上げる乞食坊主の苦業を少しも厭わない心を持っていることでは、他の多くの人々よりは多少優っているように相成ったと自負しています。人間六十をすぎると、幾らかは他人に物を頼むことができるようになるものです。この力を十分に、そして立派に発揮するように自ら戒めながら、自然シダ園開設を本年度着手の事業目標に致して、「生き甲斐」を感じさせて貰い度いものと、神仏に加護を祈っています。これ以外に小生が為し得るところはないと申さねばなりません。詰らぬ人間ではありますが、それでも詰るところチョイと人の成し難いことを成しとげるに役立つ力を具えているようにもおもえます。(後略)

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