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書簡 8 資料の保存について

『岳父・南方熊楠』第二章より》

樫山茂樹様

(昭和四十二年)一月十一日夜

岡本清造拝

 謹呈 歳暮から新春にかけて小生両人帰省中には御遠方のところ再三御光来賜わり、その都度結構な御土産物沢山に頂戴いたし、殊に御餅は小生滞田中毎朝味噌雑煮にして拝味、又昨秋御収穫の、御豊作であったと承り及びましたお米も毎日炊飯して御苦労を有難くよく噛みしめて頂戴いたしました。重ね重ねの御懇情と淪ることなき御温情の程厚く厚く御礼申し上げます。最近幸いにもわが国が産業上恵まれた豊かな生活を営むことができるように相成り、世上一般に米人式の豊富生活を謳歌する風が漲り、物を粗末に致すことを却って誇りとするような風潮が流れていますが、小生は幼少の頃からの両親のやかましい躾けの下で藁一筋でも粗末にしてはならぬという訓練を自然と身につけるようになっていました。その上にとりわけ戦時戦後の物資不足、食糧危機の数年を都会の真中で独り生活を営んだ際に、そのことを深く深く身をもって体験させられたので、今日でもお米を大切にすることは人並以上でございますと自負しています。お金は天下の廻りもので、よく稼げば何とかなるし、使っても又稼ぎ貯めれば何とかなるので、金銭を貯め込もうなどとは毛頭考えてもおらず、寧ろ金は使うべきものと考えています。考えているというよりは、そう信じ、又実生活上そうなってしまっているようにも思えます。このお米やお餅を山々頂戴いたすよろこびは、今の若い人にはもちろんのこと、他の普通の人々に比べて一段と深いものがあります。

 熊翁も同様だったらしく、あれだけ学問研究のために金を費しておりながら、筆紙、ペン先などなど、非常に勿体ながって、使い古したサビペン先も棄てずに小箱に入れて保蔵いたしており、これは英国滞在中、粘菌の指導を受けたリスター父娘(リスター家は英国でも有数の富者であった)の日常生活の質素で、物を大切にする風にならい染まったのだと、側近に語っていたということを、小生故上松蓊翁から聴いたことがある。この熊翁の保存習癖のおかげで、熊翁の幼少時からの資料がそのまま保蔵せられていたわけで、幸いに南方酒蔵という適切な保蔵倉庫があったことと、戦火を免がれる(酒造蔵が焼け去ったにもかかわらず)という全く天与の倖いにも恵まれたことはもちろん大きな理由ではありましょうが。小生は今日記念館をあのように開設することの出来たのも、実はこの物を大切にし永く保蔵するよい習癖に由るところが大きいと感謝せずにはいられません。人々は記念館の展示品を目のあたりにして、このような感じをもたないらしく、その点で感嘆せられている声を耳にいたしません。しかし、さすがは柳田国男先生は、嘗て東京の三越店で展示会を開いた時、よくもこんな物を細大洩らさず今日まで保存しておいてあったものだと、小生に賞讃の言葉を賜わり、小生も自分が直接努めたことでもないのに、大いに面目を施したこともあったわけです。その時小生の旧友も同じようなことを小生に申して呉れたこともあります。この点について小生自身に多少努めたことがあると申せば、平常倉庫へは雑賀氏でさえも足を一歩も入れることが許されていず、熊翁歿後の遺蔵品整理の際には数人が同時に庫に出入り致したけれども、余り注意して整理をする遑もなかったからか、あの幼少時の抄写帳などは誰も気がつかず、小生昭和二十一年の寒中に倉庫入りして、たしかに何かある筈だ、もし全くなかったなら、幼時太平記を拾い読みして家に帰り写した云々の自伝も、これを証明すべき物的証拠がないナァと考えながら、抽出しを一つ一つ丁寧にしらべて行くと、あるところの本箱の隅にクルクルと纏めて保存されてあるのを見つけた。未見の(新種)植物の発見のときのよろこびと同様、否、その頃の小生のことですから、この歓喜はたとえようもなくて、腹の底から笑いがこみあげてきて、亡母や迂妻にたしなめられる位の数日を送ったものでした。昭和二十二年夏に渋澤先生の指示で岡田桑三氏が南方遺蔵品を一覧に来田したときは、それらの雑賀、野口両氏も未見の資料について、一通りの説明を岡田君にする位になっていました。その当時の小生の南方遺蔵品整理の努力と勉強とはまさにすさまじいものがあったように、今日この頃のことを回顧しています。今は回顧趣味に傾くようなモウロク人になり下がったことを恥かしく思います。実はこれも南方門の最高弟(熊翁はさようなことを言わず、そんな言葉を厭っていた)の故小畔四郎氏が、若干の図書以外のものは一切倉庫内に収納し、誰もこれを開けないと誓約厳命して、終戦を迎え、それで小生がこれを開扉したというわけですが、このことが結果的によかったと小生は思っています。(後略)

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