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《ミナカタ通信14号 (1999. 3.20) より》

熊楠資料の表記について

中瀬喜陽     

ウェブサイトでの公開に際してのお断り (2003. 2. 7):本記事は、1998年から1999年にかけて、当研究会の将来的な目標である新しい熊楠全集(このことについては「当研究会について」のページをご参照下さい)の可能性について研究会会員間で自由に議論した際、田辺市で熊楠の一次資料を長年調査されてきた中瀬喜陽氏に話題提供を依頼したものです。現時点での、営利あるいは非営利の具体的な編集・出版計画を前提としたものではありません。なお、同様に話題提供をお願いした飯倉照平氏の「新しい全集の表記その他について」も公開されています。(ウェブページ管理者)

 私は三十年来、田辺にのこる大庄屋文書、「田辺町大帳」、「御用留」などの解読に従ってきた。この時、私等がとった方法は「原文のまま」である。そのためよくある句読点さえも解読者でつけてはいない。読点一つでも、一つの片寄った解釈を示すおそれがあるからである。

 そういう目で熊楠の書簡や日記を見ると、おのづから原則は決ってくる。従来までの刊行本でいえば、乾元社版『南方熊楠全集』(昭和二十六年五月二十五日)に添えられた凡例(抜抄)では次のようになっている。

一 そのため今日から見ると見馴れない用字法や假名遣いもそのままとなつているが、それらはいちいち改めないこととした。例えば

  有た。  無た。  名く。

のようなものは、すべて「有つた」「無かつた」「名づく」という風に訓む可きものであるが、敢て送り假名を添付していない。又、衍字とも言うべき

  昔し  所ろ

の如きものもそのまま残してあつて、削つてはいない。更に

  和歌山え

のように助字の用法の癖も改訂は加えないこととした。これとてもすべての場合にあるのではなく、いろいろ混交していることになるが、これらは明治初期の遺風であつて、今日から見れば稍々異様であるが、讀み馴れれば反つて親しみのあるものであり、ここにも先生の豪快な氣迫が感じられるものとして、忠實に寫すこととしたのである。

一 句讀點、「、」「。」は多少補足した。先生の文章は恐ろしく息の長い文章であつて、すべてが「、」だけで續く場合が多く、中には漢文風に漢字だけが續くようなこともあつて、印象が受け取り難いように思われる個所は補足することとした。

 乾元社のこの方針は、解読者にとってもたいへんわかりやすい上、研究者にとっては引用の上でもためらうことなく使える「原典」からの引用ということになる。笠井清氏は『南方熊楠』(吉川弘文館、昭和五十三年十月十日)第四版で「南方の文章の引用は、原文を読みやすく改めた平凡社の新全集によらずに、原文に近い乾元社の旧全集によっております」と述べるように、こちらには根強い支持があったのである。

 この乾元社の全集から約二十年後、平凡社の全集が刊行された。全集第一卷(昭和四十六年二月二十日)に添えられた凡例には

二、表記は原則として「現代かなづかい」に改め、送りがなも(有た→あった 名く→名づく 息ず→息まず などのように)読解の便をはかって付加し、大部分の接続詞、副詞、助詞なども、漢字をかな書きに改めた。また、カタカナ・漢字混交文は、特殊な植物学論文(横書き)を除き、ひらがな・漢字混交文に改めた。

三、漢字は、当用漢字、同補正案、人名用別表にある字体は、これを使用し、また一部の俗字、同字などで現在常用されないものは、通用のものに改めた(恠→怪 耻→恥 咀→詛など)。ただ、著者独特の書きぐせである用字、用語は、肉筆手簡、初出雑誌などと校合のうえ、残したものが少なくない(たとえば愛憎(愛想)、居多(許多)などの用語はそのまま残し、臆と憶、希と稀、注と註の混用などはあえて統一しない)。

四、(略)

五、外国人名・地名などの固有名詞および若干の普通名詞で、現在常用されない漢字表記は、カタカナに改めた。ただし、初出にルビを付した出典名は漢字表記のままとした。また、これらの出典の訳名および当初からのカタカナ表記は論文によってかなり異同があるが、これらは少数の例外を除いて、同一論文内で統一するにとどめた。なお、ヂ→ジ ヅ→ズ などの書き改めは行なった。

とあって、「現代かなづかい」に改め、送りがなもつけ加え、接続詞や副詞の漢字もかな書きにするなど、新かなづかいで育った若者に配慮する形をとっている。乾元社の時は、まだ中核となる読み手は旧かなづかいで育った層であったが、時代は大きく変っているのである。平凡社のとった措置は、若い読者をイメージした場合、止むを得ないというよりも、積極的な意味で必要な対処だったと思う。しかし、それからまた三十年近く経とうとする今日、これを踏襲するのがよいのか、乾元社のやり方を見習うか、が問題で、これこそが今回私に与えられたテーマでもある。

 私は今まで二冊の熊楠書簡の解読本を出版した。毛利清雅宛は昭和六十三年、上松蓊宛は平成元年の刊行である。その時、凡例に書いたのは

一、 原文はほとんど漢字・片カナ混り文であるが、それらは原則として平かなに改める。ただし、地名、人名、動植物名のほか例外的に改めないほうがよいと思うものはそのまま残す。

二、 傍線、傍点、〇印で読解上重要なものは残し、そうでない場合は外す。

三、 注釈的意味で「 」、[ ]、( )が混用されているが、( )に改められるものは( )に統一する。

四、 漢字はなるべく原文を尊重し、振仮名のあるものはルビとして残すが、まぎらわしい書き方のため施した振仮名は外す。

五、 字体については丗→三十、餘→余などとするが龍や耻などはそのまま置くなど強いて統一しない。

六、句読点を補い、改行、字下りなども適宜手を入れる。

七、 送りがなは相当省略され、また助詞の使い方、例えば「へ」とすべきを「え」としているなども原文を尊重し、拗・促音も原文のままとする。

というもので、これは先にあげた乾元社版に近いもので、強いていえば漢字・かたかな混り文をひらがな混りにしたほかは、句読点などに多少の手を入れたにすぎない方法である。

 これとあい前後して刊行が始まったのが熊楠日記(第一巻は昭和六十二年七月十五日)である。この表記もまた従来のものとは異なる立場をとっている。特にかなづかいは原文尊重、送りがなも原文尊重、読解の便のために漢字に振りがなを施すなどである。凡例を次にあげる。

一、漢字は原則として新字体・通行の字体を用い、多くの俗字・同字を改めた(仝→同、迯→逃、耻→恥など)。ただし筆者慣用の俗字で残したものもあり、臆・憶などの混用は統一していない。

一、 原文のカタカナをひらがなに改める際に、外国人名・地名・書名など、動植物の和名、外来語、幼児語、その他慣例としてカタカナが用いられるもの、原文で傍線で指定されているものは、そのままカタカナで残した。また、これにともなって、「ニウヨルク」、ロンドン*などの括弧・傍線は省略した。

(* 編注:縦書きの手書き原稿で、固有名詞などに付した右側傍線のこと。)

一、 _(して)、_(より)、_(こと)などや、_(ども)、_(とき)など*の合字の類は、通行のひらがなに改めた。

(* 編注:それぞれ今日では使われなくなった合字。ウェブでは省略した。)

一、 かなづかいは原文のままとした。「へ」と「え」の混用など、正則の旧かなづかいから外れている場合もあるが、原文を尊重した。

一、 送りがなは相当省略されており、同一用語でも統一されていないが、原則として原文を尊重した。また読解の便をはかって振りがなを付した場合も少なくない。

  (例) 雨ふる・(あめふ)る 飯くふ・(めしく)

一、 振りがなは、カタカナは原文のもので、ひらがなは校訂者の付したもの(現代かなづかいによる)である。校訂者がカタカナの振りがなを付す場合は竜動[ロンドン]のように[ ]内に収めた。

一、 外国語のカタカナ表記中の読点は中黒(なかぐろ)に改めた(読点を欠くために付加した場合もある)。また、この場合にかぎって捨てがなを用いた。

(例)ノーツエンド、キーリス→ノーツ・エンド・キーリス

  フヰルチユリナ、ヘパチカ→フヰルチュリナ・ヘパチカ

 こうしてみると、原文尊重を第一義としかたかなをひらがなに改めるほかは、現代かなづかいに改めるなどのことはしない、というのがこれからの熊楠資料解読の申し合わせにして作業を進めるのが望ましいのではなかろうか、と思う。解読は原本を手に出来ない人たちに替って読むのであるから、解読者が大胆に判断するととんでもない読み間違いが生ずるもので、たとえば原文に「縄の帯〆」というのがある。「凡例」で「〆」*は「して」とした、とあってどの本も「縄の帯して」となっているが、私は「縄の帯しめ」と訓むのではないかと思っている。また「調フル」というのがある。前後を読んでも「調ぶる」なのか「調うる」なのか判断がつきかねる。今までだとこれも解読者が「ままよ」と決めてしまわねばならないことになるが、今述べた原則ではどちらも「縄の帯〆」、「調ふる」となって、そこから先は読者の判断に委ねることになる。こういう小さくともゆるがせにできないことが熊楠資料には多いので、読みやすさより誤りのなさを選んだのであるが、この方針でいくと、現代かなづかいによった既刊の資料をどう取り入れるか、原文がかならずしも揃うとはかぎらない今日、新たな問題点も考えられるが、今回は表記上のことだけに限って私見を述べた。

(* 編注:実際は「〆」に似た「して」の合字。)

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