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◆下山(しもやま)



※ この地図は、地理調査発行の1/50,000地形図「日田」(昭和22.2)を使用したものである

所在:日田市大山町西大山(おおやままちにしおおやま)字上下山
地形図:豊後大野/日田
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約240m(水面は約250m)
訪問:2023年11月・同12月

 

 大字西大山の北西部、赤石(あかいし)川(大山川支流)沿いにある。現在は大山ダムの人造湖(烏宿(うしゅく)湖)に水没。
 資料『大山ダム記念誌』によると、かつての居住者は概ね下流側から岩里・井上・岩里・岩里・江田・岩里の各氏(6戸)。最後の岩里氏のみ左岸で、他はみな左岸の道路沿い。かつて集落内に架かっていた下山橋は、右岸の田畑や山に渡るために用いられていたが、洪水で度々流失。昭和37年に集落で資金を出し合い新しいものに架け替えられたという。現在の県道に架かる下山橋も、これに肖って命名されたものであるとのこと。
 なお同書よりかつての人家は赤石川に比較的近い場所に集まっていることが分かるが、旧版地形図では左岸側の高所(標高約320m)に建物が集まっている。これらが何であるかは不明。なお最近の地形図でもこの場所に地名と建物が記されており、1960年代、70年代の航空写真でも何かの建物が確認できる。
 訪問時はこの高所のみ把握していたため、水没地を望むことはなかった。なおこの場所では、1箇所の屋敷跡?と墓地が見られた。また登り口の右岸道路沿いには「高〓神」(※)があり(写真2)、「明治四年辛未 七月吉祥日」「西峰 上山 下山 
川久保」などとある。また「移転日 平成十七年十二月十八日」とあり、水没に伴いこの場所に移設されたことが分かる。
 ダム建設の大まかな経緯については、
瀬古のページを参照。

※ 〓は雨かんむりの下に龍

 翌月再訪し、水没地を探索(写真6-11)。前回よりも水位が下がっており往時の道路も歩くことができたが、明瞭な屋敷跡は確認できず。

 


(写真1 ダム堰堤)


写真2 右岸道路沿いの「高〓神」
※ 〓は雨かんむりの下に龍


写真3 道

写真4 建物跡の登り口

写真5 墓地

写真6 集落跡を望む(以下12月撮影)

写真7 下山橋(銘板には「昭和三十七年三月竣工」とある)

写真8 屋敷跡?

写真9 屋敷跡?

写真10 かつての国道。中央やや上は現国道の下山橋

写真11 何かの跡

 

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