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◆瀬古(せこ?)



※ この地図は、地理調査発行の1/50,000地形図「日田」(昭和22.2)を使用したものである

所在:日田市大山町西大山(おおやままちにしおおやま)字東川内(ひがしごうち)
地形図:豊後大野/日田
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約170m
訪問:2023年11月

 

 大字西大山の北部、赤石(あかいし)川(大山川支流)右岸にある。
 大山ダム建設に伴い離村したが、かつての集落は堰堤の前後に位置し上流側は水没、下流側は堰堤前の広場となっている。水没を免れた部分も、土地の造成により過去の地形とは異なっているため集落があったことを窺わせるものは
ない。なお堰堤の下にある銅像(写真2)は、日田市出身の漫画家の作品に登場するキャラクターであるよう。
 また小羽瀬にはダム建設に伴い移設された石造物が置かれているが(写真3)、このうち御薬師・御稲荷・御大師・水天宮は当地のものであることが記念碑に言及されている。
 資料『大山ダム記念誌』によると、かつての居住者は概ね下流側より川邉・窪・川邉・川邉・川邉・矢野・川邉・池田・川邉・川邉の各氏(10戸)。
 また同書および町誌より、ダム建設の大まかな沿革は以下のとおり。計画当初は「赤石川ダム」の名称であった。

 昭和54.10.1  建設省より町に対し、赤石川ダム予備調査について申し入れ
 昭和54.11.20  川沿いの関係地区により、赤石川水資源対策委員会設置
 昭和55.5.10  予備調査説明会
 昭和58.3.11  赤石川ダム対策協議会発足
 昭和59.3.5  水資源開発公団により、赤石川ダム調査所設置
 平成元.1.24  「大山ダム」に名称変更
 平成5.10.30  水資源開発公団・町・大山ダム対策協議会との間で、ダム建設事業に伴う基本協定締結
 平成9.3.19  代替地(西和地区)工事着手
 平成10.9.18  代替地(綿打地区)工事着手
 平成10.1.24  大山ダム補償基準締結に伴う調印式
 平成16.9.30  水没地家屋移転完了
 平成17.3.13  水資源機構・町・大山ダム対策協議会との間で、ダム本体工事の着手に関する協定締結

 なお町誌続編では平成24年度完成予定としており(平成23年刊行)、ダムのパンフレットでは同25年4月運用開始となっている。
 また水没戸数41戸のうち、町内移転20戸、町外移転21戸(うち日田市19戸)。

 


写真1 ダム堰堤と集落跡付近(左)

写真2 堰堤と像


(写真3 移設された石造物群。左より不明・八大龍神・御大師と御薬師・記念碑・御稲荷〔小羽瀬にて〕)


写真4 堰堤より瀬古(右岸手前)・(左岸)・小羽瀬(右岸奥)を望む(12月撮影)

 

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