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◆第三(だいさん)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「新居濱」(昭和23.4)を加工し使用したものである

所在:新居浜市立川町(たつかわちょう)
地形図:別子銅山/新居浜
形態:川沿いの斜面に家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約730m
訪問:2008年8月・2018年8月

 

 東平地区の東部にある。寛永谷(かんえいだに)川・柳谷川の合流点付近の地区。東平の南西。かつては旧採鉱本部・変電所・火薬庫・第三通洞と少数の社宅があった。
 現在は変電所の建物や第三通洞が残っている。広場には遊具も設置され憩いの場所になっている

 2018年再訪。遊具は既に撤去。以下は随所に設置されている説明看板の文。


・東平採鉱本部跡
 採鉱の中心は、第三通洞の八番坑道準と九番坑道準に移行しつつあったので、第四通洞、大立坑の完成を機会に、大正5年(1916)、採鉱本部を山頂に近い旧別子の東延から中腹の東平(第三地区)に移した。採鉱本部の建物は第三通洞前に暗渠を築き、その上に二階建てで建築された。採鉱本部前には柵がめぐらされ、その内には、火薬庫、機械修理工場、木工場も設けられた。採鉱本部は、昭和3年(1928)に、選鉱場、調度課販売所、病院、土木課、山林課、運輸課、娯楽場、接待館などの中枢機能が集積していた東平地区に移転した。そして、採鉱本部の建物は東平倶楽部になった。
 採鉱本部は、昭和5年(1930)に東平から端出場に移された。

・第三と変電所(写真8-12)
 元禄15(1702)から別子銅山の粗銅は銅山越経由で新居浜へ運び出すようになり、その中持道はこの辺りを通っていた。第三坑口の前あたりには橋があって、「上の橋」または「蘭干橋」と呼んでいた。辺りは深い渓谷であったが、100mにも及ぶ暗渠を築き、右の寛永谷(かんえいだに)と左の柳谷(やなぎだに)の流水を伏流させ、第三通洞の開削ズリを堆積して、通称第三広場と呼ばれている鉱業用地を造成した。以後、しばらくはここが東平地区の開発と生産活動の拠点となり、大正5年には別子の採鉱本部をここに遷した。昭和5年端出場に移転するまでの14年間は、ここが鉱山の本部であった。
 煉瓦の建物は東平変電所の遺構で、明治36年頃設置された開閉所を大正6年頃に変電所の機能を備えた煉瓦の建物とした。尚、その下段には鉱水を処理する流水沈澱槽が設置されていた。


 また現地にある別の解説によると、社宅は大正11年9戸、昭和42年撤去(当時18戸)。また変電所は明治37年9月に建設、昭和40年廃止。

 


写真1 東平に設置の「むかしの東平」より往時の地図
(以下2018年撮影。2008年はフィルム紛失のため写真なし)


写真2 東平からの遊歩道

写真3 古い社宅跡

写真4 同

写真5 貯水設備

写真6 社宅跡

写真7 火薬庫

写真8 変電所

写真9 同

写真10 同。内部

写真11 同。窓

写真12 同。2階部分

写真13 変電所横の平坦地

写真14 変電所上の平坦地

写真15 写真14上の平坦地。階段は一本松への道

写真16 第三通洞

写真17 銅山越への道

 

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