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◆喜兵衛島(きへえじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「下津井」(昭和22.5)および同地形図「岡山南部」(昭和21.11)を使用したものである

所在:直島町(大字なし)
地形図:八浜/岡山南部 宇野/玉野
形態:海沿い?
標高:数m?
訪問:2021年11月

 

 町の北部にある島。牛ヶ首島の南東。直島の本村からおよそ4.9q。
 資料『シマダス』によると、戦後間もなくの頃は100人以上の住民が居住。島名は鈴木喜兵衛という武士が布陣後にこの島に居住したことにちなむという。島内には大規模な製塩遺跡があり、昭和54年に「喜兵衛島製塩遺跡」として国の史跡に指定されている。
 北西向きの浜・島北東部・南の浜にそれぞれ上陸。まず北西向きの浜の西側では、砂浜に陶片や瓦の一部が見られたものの、山中での屋敷跡は確認できなかった。
 北西向きの浜の北側では、上の地形図では建物が記されているもののその痕跡は確認できず。ただしある程度の幅がある道があり、これは北東部へと通じると思われる。
 島の北東部は採石場および廃船解体工場の跡地(※1)となっており、削られた山や工場の設備等が今も残る。
 南部の浜には石積みや階段が設けられ、上陸がしやすくなっている。最近の地形図には「史跡・名勝・天然記念物」の記号とともに製塩遺跡と記されているが、竹藪の中で特に注目すべきものは見られなかった。後で知るところでは、当時の土器の破片が浜などに散見されるよう。
 なお西隣の屏風島(びょうぶじま)(※2)より、築堤式養殖場の堤防により徒歩で往来することが可能(水門部には簡易な橋が架かる)。

※1 『シマダス』では「島の東側では採石も行われていた」とあり、また「角川」の記述から刊行当時(昭和60年)には跡地が廃船解体工場として利用されていたことが分かる
※2 有人島(平成27年8戸19人)だが定期船はない。養殖場の開設は昭和8年。現在は1軒のみが営んでいる(『シマダス』より)

 


写真1 北西向きの浜・西側の遠景

写真2 写真1にて。陶片と瓦の一部

写真3 同。陶片

写真4 同。山中の風景

写真5 北西向きの浜・北側の遠景

写真6 写真5にて。道

写真7 同。小平坦地

写真8 同。溜め池?

写真9 北東部の遠景

写真10 北東部にて。船着場跡

写真11 同。施設

写真12 同。現地の風景

写真13 同。奥は石切場跡

写真14 南の浜

写真15 写真14にて。平坦地

写真16 同。池

 

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