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◆松久保(まつくぼ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「櫻谷」(昭和26.9)を使用したものである

所在:那賀町白石(しらいし)
地形図:長安口貯水池/桜谷
形態:稜線近くの平坦地に家屋が集まる
離村の背景:(1世帯現住)
標高:約450〜500m(国道は約260m)
訪問:2008年9月

 

 那賀(なか)川左岸で、柳瀬(やなせ)集落対岸の稜線付近にある。
 在住の方(比較的若く、家族も大勢いるよう)の話では、覚えている範囲でかつては8軒。1970年代くらいから少しずつ人が減り始めた。林業が主体で、自給用の田畑もあった。実際この家の周囲にも水田が広がっている。現在は大工をしており、先代より林業から転業した。
 この家の裏手は植林地になっており、山林内には廃屋がいくつか見られる。また石が敷かれた古い道が残っており(写真4)、これは旧木沢村
鉢久保や坂州(さかしゅう)まで通じていると思われる。なお現在は整備された林道が家の少し先まで延びており、大字日真(ひま)から堂ノ尾まで延びている林道とつながる予定。
 以下は町誌より引用(内容は出版当時の状況)。

 車道の開設されていない歩道のみの集落。主な交通路は3線。最も主要なものは町道松久保・平谷線。ひとつは市宇・白石に通じる市宇線。ひとつは木沢村へ連絡する坂州線(前述)。平谷線は単車が通れる程度の急坂の道。市宇線は幅1mほどの狭いもの。坂州線は鉢久保へ開設した農道に連絡しているので便利
 電気の導入ははっきりしないが、昭和3年末か。
 8戸のうち水田を耕作しているのが5戸。畑地は全戸が耕作。畑地は家の付近にまとまっているが、水田は用水の関係で何箇所にも散在している。副業として緑茶・和紙の製造があった。
 神社は八幡神社。
 戦後の転出は山田・岡沢(昭和24年)、原田(32年)、森下(41年)、森原(44年)、垣本(52年)、山田(?)、秋月(?)、松本(53年)。転入は谷沢(29年)。昭和45年8世帯39人、昭和50年8世帯28人。昭和55年4世帯(谷澤・新田・原・森原)。

 


写真1 現住民家


写真2 廃屋

写真3 廃屋

写真4 道

写真5 林道沿いの家屋

 

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