◆樫山(かしやま)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「劍山」(昭和28.9)を使用したものである
所在:美馬市穴吹町口山(あなぶきちょうくちやま)字葛籠(つづろ・つづろう)
地形図:阿波川井/剣山
アクセント:カシヤマ
形態:山中に家屋が集まる
標高:約720m
訪問:(2011年11月)・2018年8月
大字口山の南東部、大内谷川右岸の山中にある。
大内(おおうち)もしくは猿飼(さるかい)よりルートがあるが、大内谷川を遡り大内から訪問を試みた。谷沿いの林道は地図上の終点よりも奥まで延びており、終点からも幅のあるしっかりとした道が続く。ただし集落の真下辺りでこの道は急に途切れてしまい、登り口が分からなかったため到達できず。なお大内の方の話では、樫山の住民が買い物等所用で山を降りる場合、大内経由の道が主に使われていたという。
町誌によると、かつて古宮(ふるみや)の葛籠から移り住んだとのことで平家の落武者の末裔といわれている。半平山(はんだいらやま)村(後の大字古宮)に属していたが、明治22年町村制施行の際大平とともに口山村に編入された。昭和35年7戸36人。昭和38年全戸移転。
奥野大権現・高越(こうつ)大権現(※)への登山道に当たるため、毎年の祭事には遠方からの参詣者が樫山の家々で休憩し、手厚くもてなされていたという。
宮内小学校樫山分校の沿革・廃校直前の児童数の変遷は以下のとおり。
明治35頃 |
開校。民家を交互に間借りし教育を行う |
大正14.3 |
校舎建設 |
昭和5 |
教員住宅建設 |
昭和21.2 |
火災により全焼。民家で教育を行う |
昭和22.3 |
校舎・教員住宅建設 |
昭和34.4 |
5、6年生が本校に通学するようになる |
昭和38.3.31 |
廃校 |
年度 |
昭和31 |
昭和32 |
昭和33 |
昭和34 |
昭和35 |
昭和36 |
昭和37 |
児童数 |
7 |
7 |
9 |
6 |
6 |
7 |
5 |
なお町誌に記載されているイラストには、標高の低いほうより森本・花岡・森本・山本・森脇の5軒が描かれ、森脇家・森本家の間に分校、森脇家のそばに八幡社、森脇家から猿飼方面への道中に「大師」がある。現在、お大師さんは旧住民によって転出先のそばに移転され祀られている。また八幡宮の境内は広く、学校の運動場として使われていた。
※ 高越大権現は、山川町【現・吉野川市】の高越山にある神社。奥野大権現の詳細は不明だが、奥野々(おくのの)山の頂上にある神社のことか
2018年訪問。現在は猿飼より現地を通過する林道(高津二戸(こうつふたど)線。開鑿途中)が通じており、車輛での訪問が容易となっている。
現地では数箇所の屋敷跡や何かを祀ったような遺構(写真3)が見られた。学校跡は不明。
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