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◆黒髪島(くろかみじま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「防府」(昭和21.11)および地理調査所発行の同地形図「徳山」(昭和21.11)を使用したものである

所在:周南市大津島(おおづしま)・同富田(とんだ)
地形図:福川/防府 徳山/徳山
形態:海沿いに家屋が散在する
標高:数m〜約20m?
訪問:2022年12月

 

 市内福川(ふくがわ)地区より、南におよそ4q弱にある島。有人島の大津島の瀬戸浜からは、海を挟んで1.1qほど。島内は西から南にかけては旧徳山市大津島、北西は旧新南陽市富田となっている。
 資料『シマダス』によると、江戸時代には黒神島と称し、古くから神域となっていたが、明治10年頃から花崗岩の採石が始まったとのこと。独特の色合いと耐久性から、皇居の昭和新宮殿・国会議事堂の外装など著名な建築物、全国の鳥居・記念碑等に利用され、現在では黒髪石・徳山みかげとして広く知られている。近年まで大津島へ向かう定期船が太刀浦と黒髪(宮浦)に寄港していたが、現在は黒髪石材の通勤船が採石場へ関係者を運ぶのみとなっている。国勢調査では、平成7年7人、同12年1人、同17年1人、同22年に無人島化しているが、同31年の住民基本台帳には3人の登録がある。
 東の
仙島とは干渡(ひと)と呼ばれる砂洲でつながっている。

 採石の拠点となっている西部は船上から遠景を望むのみであったが、現在でも盛んに操業していることが窺える。最近の地形図で記された神社も遠巻きながら鳥居と社殿が確認できた(写真3)。
 そのまま南東までぐるりと回り込み、現在でも電力関係者が黒髪島・
仙島の管理で上陸するという「太刀浦(たちのうら)」より上陸。ここでは別荘のような管理家屋が1棟と小さな柑橘畑が見られたが、かつての居住地だろうか。さらに300mほど北東の谷沿いでも、住居の跡と思われる痕跡を確認。
 海岸伝いに富田の地内に入ると、陸繋部(干渡)に到達。山側では何かの石積みが見られたが(写真10)、浸食が進みその用途は不明。そのまま島の北東部へ向かい、石垣が築かれた浦を3箇所確認。うち1箇所には浜から上がった場所に家屋があり、農業の拠点として使用されていたものと思われる(宅地跡?)。

 なお蛇島仙島・黒髪島が詠まれた短歌の歌碑が蛇島に置かれていたが、昭和46年に太華山(たいかざん)に移されている(写真20)。

 


写真1 島遠景(北側より撮影)

≪徳山市(大字大津島)≫


写真2 採石場(宮浦)

写真3 採石場の施設群。中央に鳥居と社殿が見える

写真4 南部の石切場跡

写真5 太刀浦

写真6 浦からの風景

写真7 畑と家屋

写真8 石垣

写真9 宅地?(写真8)の石垣

写真10 廃屋
≪新南陽市(大字富田)≫

写真11 陸繋部(干渡)の石積み

写真12 陸繋部からの風景。遠方は新南陽方面

写真13 石垣

写真14 石垣(宅地跡?)

写真15 何かの遺構

写真16 石垣

写真17 石垣と家屋(写真15の浜の奥)

写真18 山中の道。右下方は写真16へ。直進は未確認

写真19 小屋
≪その他≫

(写真20 移設した歌碑〔太華山にて〕)

(写真21 太華山からの遠景。中央の小島が
蛇島、その後方が仙島、左が黒髪島)

 

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