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◆高木屋(たかごや)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鹿野」(昭和22.2)を使用したものである

所在:岩国市錦町広瀬(にしきまちひろせ)
地形図:周防須万/鹿野
形態:山中に家屋が集まる
標高:約420m
訪問:2019年8月

 

 大字広瀬の南部、錦(にしき)川左岸側の山中にある。
 現地までは車道が通じ、訪問は容易。無住となったのは比較的最近のようで、現在でも数戸の家屋が残されている。HEYANEKO氏の調査によると、写真4が学校(広瀬小学校高木屋分校)の跡とのこと。
 以下は町史より学校の沿革。

 (明治7.7)  (右穴ヶ浴明専寺にて私塾開設)
 明治16.7  広瀬小学校右穴ヶ浴巡回授業所開設
 明治20.4  高木屋簡易小学校となる
 明治23.7  校舎新築
 明治25.7  高木屋尋常小学校となる
 明治32.2  校舎焼失(3月再開)
 明治40.12  校舎改築
 大正13.4.1  広瀬尋常高等小学校高木屋分教場となる
 昭和16.4.1  広瀬国民学校高木屋分教場となる
 昭和22.4  広瀬小学校高木屋分教場となる
 昭和28  校舎新築
 昭和46  閉校。広瀬小学校に統合

 また同書が引用する「郡中大略」(安政2〔1855〕年)によると、当時の戸数は42戸。
 資料『錦町風土記』によると、昭和40年3月末18戸42人。『広瀬町誌』によると、昭和27年12月23戸112人。
 また右穴ヶ浴にある寺院跡の碑には、藤岡家・村中家・山本家・吉岡家各1戸が門徒として記されている。
 なお臼転橋から当地までの間にも屋敷跡や社が見られるが、当地も高木屋の一部であったか、別の地域であったのかは不明(写真11・12)。

 


写真1 「患者輸送バス」乗り場の標識

写真2 廃屋

写真3 家屋

写真4 学校跡

写真5 校地の「御大典記念碑」

写真6 廃屋

写真7 石仏

写真8 家屋

写真9 家屋群

写真10 屋敷跡


(写真11 高木屋‐
臼転橋間の屋敷跡)


(写真11 高木屋‐
臼転橋間の社)

 

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