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◆櫃島(ひつしま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「相島」(昭和22.2)を使用したものである

所在:萩市櫃島
地形図:櫃島/相島
形態:平坦地に家屋が集まる
標高:約65m
訪問:2022年8月

 

 萩漁港(中小畑)から北北西およそ9.6qにある島。萩の六島(ろくとう)諸島を構成する島嶼のひとつ。人家は台地上の南西側に集まっている。

 資料『シマダス』によると、昭和30年106人、平成27年1戸2人。以前は葉タバコ栽培が主流で農地の大部分を占めていたが、現在は甘夏やタマネギが中心

 市史によると、 元文5(1740)年17戸118人(「地下上申」)、寛政元(1789)年15戸(「浜崎宰判浦嶋石高其外付立一紙」)、文政5(1822)年13戸103人(「浜崎宰判浦嶋石高其外」)、安政2(1855)年13戸97人(「郡中大略」)。
 昭和41年8月笠山‐櫃島間に海底送電線が敷設され、送電が開始した。昭和35年7月学校に極超短波簡易無線電話機を設置したが、学校間の利用が主体であった。昭和36年8月、本土から海底ケーブルを敷設し1回線の共同電話が開通。
 当地にあった学校は、大島(おおしま)小学校櫃島分校および大島中学校櫃島分校。中学校分校は昭和25年開校。いずれも昭和40年3月31日に閉校。昭和40年4月1日、本土に市立の寄宿舎が開設され(※)、櫃島・
尾島羽島の児童生徒が寄宿。小学生は明倫小学校、中学校は明経中学校に通学することとなった。なおこのような学校寄宿舎は全国でも初のケースとなり、注目を浴びたという。その後昭和46年に羽島、同47年に尾島が集団移転したため入寮者は櫃島の児童生徒のみとなり、昭和57年度には2名、同58年度には1名となり、同年度をもって閉鎖となった。ただし定員に余裕があったため、例外的に島の高校生も複数在籍していた。関係者から継続の要望があり、保護者を中心とした明和寮運営委員会による運営で継続されることとなった。
 神社は八幡宮。祭神は応神天皇で、ほか大年神・沖津彦命・沖津姫命を配祀する。社叢に接してリュウキュウエノキの巨樹があり、知られているものでは国内最大という(写真29)。

※ ただし建物の完成は6月。浜崎町に建設され、明和寮と命名された。それまでは江向(えむかい)の労働会館と無田ヶ原(むたがはら)の市営住宅を仮の寮とした

 また「朝日ジャーナル」に掲載の「風土記'62 櫃島」(昭和37年)によると、当時の10戸のうち、山本家が5戸、山根家が5戸。
 島の周囲はブリの漁場で大敷網による漁撈が行われていたが、海蝕崖に囲まれたこの島は漁業とは無縁であった。昭和28年、漁の利権が切れたのを機に各戸からの醵出金・農協と銀行からの借り入れを元手に大敷網を開始。しかしほとんどが不漁で、2年間で莫大な負債が生じてしまった。その苦境を救ったのが葉タバコで、島の土壌に合った作物でもあった。県の煙草耕作組合長が債権者との仲介に当たり、耕作地を拡大、懸命に生産に従事した結果、僅かな期間で負債を返済することができたという。

 また「角川」によると、地区としての櫃島は江戸期から明治22年までの阿武郡櫃島村。古くは志津島とも。明治22年からは六島村の、昭和30年からは萩市の地区名となった。明治16年16戸106人、同24年12戸112人、昭和35年13戸98人、同45年10戸40人、同55年10戸23人、同63年9戸21人。明治12年に戸長役場が字宇津上に置かれた。明治18年大島の日進小学校の巡回授業所が置かれ、同20年に簡易小学校となった。

 HEYANEKO氏の調査ほか諸情報によると、平成中期に定住者はいなくなり、本土から通いで耕作が行われているとのことで、人口は登録上のものであることが分かる。船主からも通い耕作の情報は頂いたが、当方の訪問時は関係者は不在。道路には軽トラが停まっており、港と集落を行き来していることを窺わせる
 集落内では、古い家屋群の中で真新しい建物がひと際目立つ。
これは『シマダス』によると、市管理の櫃島地域間交流施設。平成23年に整備され、キャンプを伴った体験学習などが行われているという(写真8)。
 学校跡は集落の南東部にあり、校舎がそのまま残存(HEYANEKO氏の調査による)(写真22)。近くには校舎の新築記念碑も見られる(写真23)。
 神社はここから少し東側に
あり、鳥居や参道は手入れがされているものの社殿は荒廃が進んでいる。
 集落の北側には広大な農地が広がっているが、現在は耕作が放棄され一面の草地となっている。ほか集落の南部にもごく僅かに農地跡があるが(地形図上でも「果樹園等」の記号が孤立)、こちらも荒廃し雑木林になっている。

 


写真1 島遠景(南側より撮影)

写真2 船着場

写真3 船着場の建物

写真4 船着場を俯瞰

写真5 電柱札。「ヒツシマ」「ひつしま」と見える


写真6 集落入口付近の道沿いの風景。左は柑橘畑


写真7 柑橘畑

写真8 櫃島地域間交流施設

写真9 井戸

写真10 家屋

写真11 発電施設跡?

写真12 祠の石仏

写真13 小祠と池

写真14 電柱

写真15 家屋

写真16 家屋

写真17 家屋

写真18 廃屋

写真19 廃屋

写真20 路地

写真21 家屋

写真22 旧校舎


写真23 碑。「新築記念 櫃島分教場」「昭和十一年四月」などとある


写真24 家屋

写真25 神社。鳥居

写真26 同。灯籠

写真27 同。社殿

写真28 同。扁額。拝殿にて

写真29 境内のリュウキュウエノキ

写真30 農地跡(島の南部)の小屋

写真31 農地跡(島の南部)の道

写真32 農地跡(島の中央部)

写真33 同

 

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