◆尾島(おしま)
所在:萩市尾島
萩漁港(中小畑)から北西に10q強にある島。萩の六島(ろくとう)諸島を構成する島嶼のひとつ。人家は南岸の付近にあった。 市史によると、昭和47年10月、当時の7戸19人の全住民が集団移住し無住となったとのこと。 ※1 ただし建物の完成は6月。浜崎町に建設され、明和寮と命名された。それまでは江向(えむかい)の労働会館と無田ヶ原(むたがはら)の市営住宅を仮の寮とした また「角川」によると、地区としての尾島は江戸期から明治22年までの阿武郡尾島村。明治22年からは六島村の、昭和30年からは萩市の地区名となった。明治16年9戸82人、同24年10戸77人、昭和35年10戸87人、同45年7戸32人。明治12年に戸長役場が字西ノ川に置かれた。明治18年大島の日進小学校の巡回授業所が置かれ、同20年に簡易小学校となった。 資料『シマダス』によると、明治15年9戸82人、昭和30年10戸103人。 集落は現在草木に覆われ、僅かに人家と学校(※2)の廃屋が残る程度。台地に通じる道はしっかりした幅があり、畑への行き来や作物の運搬に大きく役立っていたことが窺える(ただし港からは入口が非常に分かりづらい)。台地上は広く畑であったが、建物の残骸や神社跡が見られた。境内にある碑は「大歳宮新築之碑」(昭和3年)(写真27)。1970年代の航空写真には台地上にも数棟の建物が見られるが、人家であったかは不明。 ※2 HEYANEKO氏の調査により判明
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写真1 島遠景(南側より撮影) |
写真2 船着場 |
写真3 船揚場? |
写真4 電柱 |
写真5 集落跡 |
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写真7 石垣 |
写真8 煉瓦 |
写真9 瓦 |
写真10 廃屋 |
写真11 遺構。左上は浴槽 |
写真12 井戸 |
写真13 建物跡 |
写真14 貯水設備 |
写真15 屋敷跡 |
写真16 台地へ通じる道 |
写真17 農地跡の石垣(以下台地部分) |
写真18 何かの遺構 |
写真19 何かの遺構 |
写真20 道 |
写真21 電柱 |
写真22 建物跡 |
写真23 石垣 |
写真24 建物跡 |
写真25 神社 |
写真26 灯籠 |
写真27 碑 |