◆黒河(くろこ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高野山」(昭和26.7)を使用したものである
所在:九度山町北又(きたまた)
地形図:高野山/高野山
形態:谷沿いに家屋が少数集まる
標高:約600m
訪問:2008年10月
町の南東部、北又川の上流部にある。古い地図では4軒の建物が見られる。
久保の方の話では、かつて4軒の家があり1軒が高野口町(現・橋本市)、2軒が橋本市に転出(うち1軒は平→黒河→久保→橋本市へと住まいを変えた)。最も遅かった家でも昭和25年くらいに転出。林業・炭焼き・稲作(自給用)をしていたが、高野山の奥の院にある御供所(ごくしょ―仏様への供物を準備するための建物)に勤める家があり、裕福であったという。
現地では道沿いに石垣や農地跡が見られる。屋敷跡と思われる場所には、かつての便所と思われる穴(不法投棄の粗大ごみが捨ててある)がある。また道沿いに石仏が納められた小さな社(写真3)があり、土台には「右 か■」「左 ま■」といった道しるべ?(■は石の表面が剥離しており読めない)や「南山」(高野山の別称?)「阿遮■(梨? 左上が「禾」)」といった文字が見られる。
なお「黒河」は、仏谷・黒河・平を含めた一帯の呼び名としての意味合いが強い。
町史によると、村民は代々奥の院灯籠堂の油さしに奉仕し、村は黒河街道(※)の要所として栄えてきたため、戸数も中世までは、平を合わせて37軒もあったという。天保のころには12軒に減ったが、なお番太(警備人)が駐在していたという。
※ 高野山詣での道のうち、橋本から明神ヶ田和(国城(くにぎ)山の東の峠)を越えて市平(いちだいら)・久保・黒河を通り高野山に入るもの
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