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◆川津(かわつ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「伯母子嶽」(昭和28.10)を使用したものである

所在:十津川村川津
地形図:伯母子岳/伯母子岳
形態:合流部付近に家屋が集まる
標高:約290m?(水面は約290m)
訪問:2022年5月

 

 大字川津の北部、十津川とその支流の神納(かんの)川との合流部付近にある。現在は風屋(かぜや)ダムの湛水に伴い水没。
 『十津川の地理』には、風屋ダムで水没・移転してなくなった集落として川津の小字川戸・矢野原野広瀬・大黒谷が挙げられているが、当地はこのうちの小字「川戸」と思われる(ただしここでは旧版地形図に倣い「川津」とした)。
 同書によると、昭和34年5戸26人。転出先は川津の津越野1、五條市2、愛知県3、死亡1(※)

 旧版地形図に記された家屋はすべて水没してるものの、非水没地の尾根上には現住?の家屋が1軒見られる。関係者が移り住んだものだろうか(最近の地形図には記載がない)。さらに県道を挟んで山側は墓地となっており、中前・藤井・野崎・泉といった姓が確認できた(※2)
 なお当地は、天誅組の援兵として一郷を率いて参戦した郷士・野崎主計(のざき・かずえ)の出身地。矢野原から移転した川津小学校(現在は公民館に転用)には同氏の記念碑があるが、水没に伴い移転した旨が説明されている。また後で知ったところでは、野崎主計(本文で後述)の墓がここに所在している(写真4)。

※ 戸数の合計が合わないが、昭和34年以前の転出者も含めたものか。さらに挿図・「川津 津越野の水没による集落移動図」では、昭和35年の津越野の住宅のうち旧居住が川戸となっているものが4戸見られる

 


(写真1 ダム堰堤)


写真2 集落遠景(正面の突端付近)


写真3 墓地

写真4 同。手前の段の左端が野崎主計の墓であるよう

(写真5 川津小学校の石碑群。野崎主計のものは左の2つ〔「野崎君頌徳碑」・正五位贈位の碑〕と中央右〔辞世の歌碑〕)

 

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