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◆三田(びた)
※ 位置は推定

所在:十津川村杉清(すぎせ)
地形図:伯母子岳/伯母子岳
形態:山中の一軒家
標高:約740m付近?
訪問:2022年5月

 

 大字杉清の北東部。神納(かんの)川の支流・三田谷の右岸側の高所にある。資料にて存在を確認したものの古い地形図に地名の記載がなく、長らく所在が不明であった。しかし『十津川郷採訪録』の口絵に杉清の略図が描かれており、大まかな位置が判明。
 同書によると、福井家(屋号は「三田(びた)」)が1軒暮らしていたが、昭和32、3年頃家を新宮の上松氏に売却し転出したという。田も畑もあった。転出先は三田谷(びただに)

 2022年、位置を推定し現地を訪問。昭和22年の航空写真には上西の南東斜面に農地のようなものが見られ、これを目指した。
 まず三田谷集落付近から当地へ続く道を探すべく、現在の熊野古道(小辺路(こへち)の東に並行する道(旧道)をたどったが、それらしい分岐は見つからなかった。
 続いて736mの標高点のある緩やかな尾根を下ってみたが、ここでも横道は見つからず。なおこの尾根筋の標高およそ880m辺りに飯場の跡があり(写真1)、訪問計画の直前までここが三田であると誤って認識していた。
 標高700m強辺りまで降りた後、推定地に向かって強引に移動。崩壊地や谷を越え、難儀しながらも現地に到達した。現地は広葉樹の林で明るく、段々になった農地跡を2箇所確認。一方はしっかりとした石垣が築かれている。屋敷跡を特定する遺構は見つからなかったものの、この場所は福井氏が耕作していた農地である可能性は高い。
 なお訪問後はそのまま斜面を登り旧道に取り付いたが、やはり明瞭な道は見られなかった。往時の住民が杉清方面へ降りる際に、どのような道筋を通っていたのかは不明。あるいは三田谷に沿って道があったのかもしれない。

 


(写真1 付近の飯場跡)


写真2 平坦地


写真3 平坦地


写真4 石垣


写真5 段々の土地


写真6 平坦地


写真7 平坦地


写真8 茶碗

 

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