◆野々原(ののはら)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「伯母子嶽」(昭和28.10)を使用したものである
所在:十津川村杉清(すぎせ)
地形図:護摩壇山/伯母子岳
形態:川沿いに家屋が少数集まる
標高:約700m
訪問:2008年12月・2022年5月
村の北西部、神納(かんの)川の上流左岸にある。
神納川沿いの現住の集落では清之原(せいのはら・せのはら)が最も奥となるが、野々原はここから10kmほど。周囲は見渡す限り山で、世間から隔絶された印象が強い。現地では川から少し上がった場所に1箇所の屋敷跡(写真1)と少しの平地が見られた。後述の転出時期から考え、跡地の様子や残っているものが新しい(ガス焜炉や三輪車、何かの機械など)。再度の居住があったのだろうか。なお付近には野々(のの)谷という谷があり、地名に関連すると思われる。
資料『十津川の地理』によると、なくなった年および当時の戸数は、昭和3年1戸とある。
また『十津川郷採訪録』によると、もと2戸。浦家の本家(屋号「浦」)と分家(屋号「山本」)で、この2軒だけで奥の山全部を所有していたという。食料は有田郡と野迫川村の大股(おおまた)から得ていた。転居は、本家が大正10年頃村内の五百瀬(いもぜ)に移住(のち昭和4年頃北海道へ)、分家は大正期に和歌山の熊野川町【現・新宮市】へ(第2巻)、両家とも大正2、3年ころ(第3巻)。また本家は木地師であり、職人を雇っていたという。和歌山の有田郡方面へ木地を出し、その帰りに食糧を購入していた。
2022年再訪。屋敷跡の前の農地跡?にて水源地(写真6)を、716mの標高点のある小ピークにて何かを祀った跡?(写真7)を新たに確認した。
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