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◆盛松(さがりまつ)
(元盛松)




※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「早田」(大正2.11)を使用したものである

所在:尾鷲市盛松
地形図:賀田/木本
形態:海沿いの斜面に家屋が集まる
標高:数m〜約50m
訪問:2014年5月

 

 市の南東部、賀田(かた)湾の東側にある。現在の盛松集落は市内三木浦町(みきうらちょう)に所在するが、ここでは当集落が移転する前の旧盛松集落(元盛松)について述べる
 「角川」によると、大字盛松は
近世の牟婁郡盛松浦(※1)。明治22年、北輪内村(のち尾鷲市)の大字となる。古くは「下松」と書いたが、縁起が悪いと安永年間に「盛松」と改めた。「下松」の由来は、海蔵庵の門外にあった松の木で、その枝葉が垂れ下がる様子から。昭和3年(※2)、全戸が三木浦の湾奥へ移住。明治5年25戸100人。
 また『おわせの浦村』によると、慶長6(1601)年27戸。荒波をまともに受け舟の接岸には難儀したが、周囲は良い漁場であったという。古くは製塩が盛んに行われ、伊勢神宮への奉納も行われていた。
枝郷として頼母(たのも)があり、慶長(1596-)の初め頃、のちの南島町【現・南伊勢町】の道行竈(みちゆくがま)から4人が移住し、製塩を始めたという(※3)。のち、盛松の本村へ移住。
 また市史によると、海蔵寺は慶長16(1611)年創立とのこと。宗旨は曹洞宗。
 現在は集落背後の尾根筋近くに林道が通じており、集落までの道のりはそれほど遠くはない。旅行代理店?により時おりツアーも催行されているようで、林道から集落への分岐、またその道中、集落内の各地には案内の看板が立てられているので探索の上で役に立つ。
 現地では多くの屋敷跡のほか海蔵寺跡(写真5)・鏡神社跡(写真22)などが見られた。案内によると集落は奥地・下地の2地区からなっていたよう(境界が判然としないため、写真は地区ごとで分けずに掲載した)。
 集落内の横道をたどり三木崎の西にある緩い傾斜地まで訪れてみたが、炭焼き窯が散見されたのみ(※4)

※1 「浦(うら)」は市町村制施行(明治21年)以前に存在した自治体のひとつ
※2 『おわせの浦村』では昭和2年
※3 市史では、盛松の兵九郎が頼母を開墾し、この新田を耕作する小作人が入ったことが集落の出現としている
※4 探索当時は頼母の存在を把握していなかったが、結果として頼母へ向かう途中で引き返していたことになる

 


写真1 林道の案内表示


写真2 集落入口となる猪垣の切れ目(集落側から撮影)

写真3 運動場跡の看板と「飛箱石」

写真4 運動場跡

写真5 寺院跡。左の枯木は、地名の由来となった松と思われる

写真6 寺院跡の平地

写真7 集落内の道

写真8 同

写真9 奥地と下地の看板

写真10 屋敷跡入口

写真11 同(庄屋屋敷)


写真12 垣の上の遺物


写真13 屋敷跡

写真14 農地跡

写真15 屋敷跡入口

写真16 水槽

写真17 瓦

写真18 屋敷跡

写真19 屋敷跡にて

写真20 集落内の道

写真21 石仏

写真22 鏡神社跡

写真23 何かの跡(神社?)

写真24 何かの跡

写真25 船着き場の看板

写真26 海岸。船着き場付近か

写真27 集落東の鞍部平坦地

 

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