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◆出合(であい)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小濱」(昭和27.1)を使用したものである

所在:おおい町名田庄出合
地形図:久坂/小浜
形態:川の合流部に家屋が集まる
離村の背景:集落整備事業?
標高:約160m
訪問:2012年11月

 

 村の東部、久田(くた)川と永谷川との合流部にある。
 村誌(平成16刊行)によると、集落整備事業により昭和48年度に村内挙野(あげの)へ移転したとのこと。かつては学校(※1)が存在していた。神社に「山神社」、寺院に
福寿寺(曹洞宗)があり、これは明応8(1499)年創建といわれる(染ヶ谷で伺った話では、寺院は離村に伴い挙野に移転したという)。また村誌(昭和46刊行)には永谷挙原と併せ「ここには現在わが国最大規模といわれる揚水発電所の建設工事が計画され、目下試験施行の過程にある」とあるが、これは現在撤回されているよう。
 現在家屋はまったく残っていないが、
永谷川左岸ではいくらかの屋敷跡が見られる。右岸には渡ることができなかったが、倒潰した家屋の屋根(写真6)や浴槽と思われる遺構も確認できる。農地は少なく、谷沿いの斜面にごく僅かにそれらしい平坦地が広がるのみ。神社・寺院・学校いずれも確認には至らず。
 
なお大字出合は近世の遠敷郡出合村。明治初年には虫鹿野(むしがの)村の一部として扱われ、同22年南名田村(のち知三村→名田庄村)の大字となる(角川)。

※1 出合小学校。明治7年開校。HEYANEKO氏調べでは、昭和53年休校、同63年閉校(閉校時は名田庄小学校出合分校)
※2 2015年12月追記
 小学校の学区では昭和48年に全域で移転事業が行われましたが、昭和53年まで学校が継続しています。このことについて、HEYANEKO氏の調査により永谷からの通学があったことが分かりました。これは発電所建設に反対していた4戸が、移転事業後もしばらく残っていたからとのことです


写真1 集落入口付近

写真2 何かの跡地

写真3 浴槽

写真4 学校跡?

写真5 右岸を望む

写真6 右岸の倒潰

写真7 倒潰

 

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