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◆蒲沢(がまさわ)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「大野」(昭和22.2)を使用したものである

所在:池田町蒲沢
地形図:宝慶寺/大野
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:最終は豪雪
標高:約500m
訪問:2012年11月

 

 町の中部、部子(へこ)川左岸支流沿いにある。
 町史によると、祖先は旧西谷村の平家平(へいけだいら)(大野市巣原)から移住した平家の末裔と伝わり、大西家はその頭領であった。平家平を出た大西家の人々は、この地に朝輝城を築いたという(ただし、丹波からの木地師が移住したという説もある)。氏神は白山神社だが、平清盛を祀る。この上手にある墓地には清盛・重盛の分骨が葬られ、大西家の墓地も兼ねている。標高が高いため、他の村に比べ漆の栽培が盛んであった。ほか養蚕(自家製糸も)・コウゾ・ミツマタも栽培。文政4(1821)年6戸、明治6年6戸48人、昭和10年2戸。同書記載の「要図」には岩本・大西・橋本・宮本の計4戸。
 籠掛から支流を1.2kmほど遡った辺りが集落の下端。ここからさらに道なりに登ると、尾根上に「朝輝城趾」の小さな碑(写真1)が見られ、道を挟んで大西氏の墓(写真2)がある。車道から尾根を下ると段々になった平坦地が確認でき、屋敷跡も2箇所特定できた。先述の「要図」を見る限り、他の世帯や城址・神社もこの尾根上に集まっている。
 なお大字蒲沢は近世の今立郡蒲沢村。明治22年下池田村(のち池田村→池田町)の大字となる。昭和38年の豪雪により最後の世帯(宮本家)が離村し、無住となる(角川)。

 


写真1 碑

写真2 墓

写真3 屋敷跡

写真4 遺構

写真5 平坦地

写真6 遺構

写真7 農地跡

写真8 農地跡(写真手前の藪)

 

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