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◆坂下(さかのしも)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大聖寺」(昭和35.2)を使用したものである

所在:加賀市山中温泉坂下町(やまなかおんせんさかのしもまち)
地形図:山中/大聖寺
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約170m(水面は約200m)
訪問:2011年8月

 

 町の中部やや西寄りにある。九谷ダムの人造湖(五彩湖(ごさいのうみ))に沈んだ集落。
 町史によると、4戸が加賀市(のち町が造成した町内の加美谷台(かみやだい))へ移住したという。
坂下・小杉生水では昭和58年11月末から59年末にかけて集団移住が行われた。なお集落はもともと峠の登り口にあったが、昭和6年の大火以後に県道沿いに移った。神社は日置神社。昭和60年9月、片谷神社(片谷)・小杉神社(小杉)・生水神社(生水)を合祀し、加美谷台一丁目に遷座。
 また「角川」によると農業・炭焼きが主な生業であったが刊行当時(昭和50年代)は林業となっている。
「坂下町」は近世の江沼郡坂下村。明治22年西谷村の大字となり、昭和30年山中町の町名となる。明治22年25戸154人、大正9年27戸142人。
 以下は碑(写真4)の全文


 坂下町は往昔は付近一帯を日置谷と称し、その中心集落として栄え、延喜式内社日置神社が鎮座し、近郷十ヵ村の惣社として別名、砥倉明神、風ノ宮とも云われた。
往時は山中谷との交流は坂下峠より四十九院(しじゅうくいん)を経て山中、動橋(いぶりはし)方面への交通の要所であり、峠の下の集落として「坂下」の地名が生まれたといわれている。
 以来幾変遷、今私たちは公共の利益を信じ、九谷ダム建設に協力して愛着尽きないこの地を去る。
 由緒ある伝統と古い輝かしい歴史を偲び、祖先と多くの先人の労苦に感謝しながら、ふる里の山河は永久に栄えることを念じつゝ、その深い思いをこの碑に托す。

 


写真1 集落付近

写真2 谷の合流部

写真3 墓地

写真4 碑

写真5 神社跡の碑

写真6 往時の様子(案内板より)

 

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