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◆土玉生(どだも・どだもう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「八尾」(昭和32.10)を使用したものである

所在:富山市八尾町土玉生
地形図:山田温泉/八尾
異読み:どたも・どたもう
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約240m(水面は約250m)
訪問:2011年6月

 

 村の南西部、大長谷(おおながたに)川右岸にある。現在は室牧(むろまき)ダム湛水に伴い水没。
 「角川」引用されている『婦負郡誌』によると、地名の由来は「土地を賜う」の意から。安倍宗任(あべの・むねとう=平安時代の武将)の子孫と称する安倍氏代々の屋敷があった村で、久安6年安倍氏が禁中へ糸・蝋・漆などを献上、居住地として賜った土地といわれている。
 『続八尾町史』によると集落にはかつて学校(仁歩小学校土玉生分教場)があり、山中茗ヶ島小谷・正間(まさま)を学区としていた。明治25年2月から3月という、極めて短い期間のみ開設されていたよう。
 集落付近の湖畔に、コンクリート造りの小屋と「土玉生解村記念碑」(写真2)がある。以下はその全文。

 富山県井田川総合開発に依り室牧北堤並に発電所建設のため私共の故郷この土玉生部落が湖底と成るに當り補償に関し幾多の難問題もありましたけれどもわが郷土富山県発展の礎を築かんが為めこゝに祖先傳来の尊い地と離ることを承諾致しまして昭和三十三年十月十四日富山県電気局と調印をしたのであります 翌三十四年三月二十三日我が古里の最後の春季祭礼と共に解村式を行い八百数十年来の長きに渡る懐しきこの土玉生部落の終結を飾ったのであります 従って北堤工事も順調に進み昭和三十六年三月三十日湛水式と共に牛嶽神社を始め十八全戸の生地が湖底に姿を消したのであります 依って下記の如く移転致しまして湖底の懐しき故郷を忍びこゝに此の碑を建てました
 昭和三十六年十一月建之

 各戸の状況は以下のとおり。

1 転出先
2 水本 町内
3 松永
4 安部
5 田口
6
7 屋敷
8 森田
9 村上
10 田中 婦中町【現・富山市】
11
12 西島
13
14 竹森
15 安部
16 西島 大沢野町【現・富山市】
17 坂口 富山市
18 村花
  (牛嶽神社) 町内松原(まつばら)

 なお大字土玉生は近世の婦負郡楡原(にれはら)郷の土玉生村。明治22年仁歩村(のち八尾町)の大字となる。慶応4年15戸87人、昭和5年18戸118人。離村時18戸111人。

 


写真1 集落付近

写真2 碑

 

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