◆東三里塚(ひがしさんりづか)

※ この地図は、国土地理院発行の1/25,000地形図「多古」(昭和44.3)を使用したものである
所在:成田市東三里塚 地形図:多古/成田
形態:平坦地に家屋が散在する
離村の背景:空港建設
標高:約40m
訪問:2018年3月
市の南部。大字三里塚(さんりづか)の南に位置する地域。現在は成田国際空港の敷地内で、南端の整備地区一帯に当たる。
『千葉県戦後開拓史』によると、地域内には戦後の開拓農業協同組合として「桜台」があったことが分かる。桜台開拓農協は昭和24年7月9日設立。昭和46年12月7日解散。昭和30年22戸、同36年15戸(組合員戸数)。
資料『成田市の地名と歴史』によると、昭和36年35戸161人、同59年622戸623人、平成22年2戸2人。子持沢・桜台・宮台・中之台・岩之台・奥之台・吉野台・森の台の小字がある。戦前は、下総御料牧場の育牛部などがあった。昭和21年頃から開拓開始。昭和38年、宮台にゴルフ場開設(のち空港建設のため移転)。昭和44年7月、空港反対のシンボルとして三里塚平和の塔が建設される。昭和47年9月、平和の塔がゴルフ場跡に移設。昭和51年、1戸が騒音防止法による騒音区域の指定を受けた
「角川」によると、大字としての古込は昭和29年に成立。もとは大字駒井野(こまいの)の一部であった。第二次大戦後の疎開者および戦後の引揚者などによって開墾され、昭和40年代以降すべて新東京国際空港【現・成田国際空港】の用地となっている。
空港敷地内の主な出来事については、§成田空港補足を参照。
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