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◆白根(しらね)鉱山



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「草津」(昭和27.8)を使用したものである

所在:草津町前口(まえぐち)
地形図:上野草津/草津
形態:谷沿いから斜面にかけて家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約1,280m(中心部)
訪問:2019年6

 

 大字前口の北部、厳洞沢(遅沢川支流)沿いにある
 資料『鉱山発達史には万座鉱山(嬬恋村)とともに掲載。発見時期は不明だが、古来「白根釜」と称し採掘。明治19年7月藤沼某氏が採鉱・製錬に着手。同29年株式会社を組織し規模を拡張。同30年噴火により工場・製錬場が破壊され休業した(原本は明治33年刊行)。寒冷地であるため操業は4月より11月までであった。燃料は近傍の森林より薪として供給。

 また「角川」では「白根硫黄鉱山」の項目で近隣の硫黄鉱山と共に掲載。これによると、当鉱山は昭和8年開設。昭和44年に万座、同46年に吾妻小串石津の各鉱山が閉鎖する中、白根鉱山は白根工業と改称し農薬工場に転身したが、これも昭和59年に休業。白根山周辺からの硫黄の採掘は完全に消滅した。
(明治期の休業から昭和8年の開設までの経緯は不明)
 なおHEYANEKO氏によると、当地には草津小学校白根分校があったとのこと(昭和39年閉校)。

 1970年代の航空写真を見る限り、廃業したスキー場の施設が残されている付近がかつての事業中心部であるよう。国道からここまでの間にもまとまった数の住宅地があったようだが、これらは就労者のための住宅であったか(写真1-3)(1軒の現住民家を除き、すべて撤去済み)。
 最近の地形図でも神社の記号が記されているが、現在でも社殿が残されており、付近には「白根鑛山跡地」と記された記念モニュメント(平成8年、白根会による)(写真9)がある。これによると創立は昭和8年10月1日、昭和49年3月31日閉山。
 ここから厳洞沢に沿って遡ると、鉱山に関連した様々な遺構を見ることができる。最近の地形図で見られる記念碑については未確認。

 


(写真1 住宅地跡の道路)

(写真2 住宅跡?〔静山地区〕)

(写真3 同?)

写真4 スキー場駐車場(鉱山施設跡)

写真5 スキー場ベースロッジ


写真6 事業中心部の風景(左はスキーリフト施設)


写真7 神社。鳥居

写真8 同。社殿と灯籠

写真9 記念モニュメント

写真10 何かの跡

写真11 遺構

写真12 坑口

写真13 坑口

写真14 写真11からの風景

写真15 遺構

写真16 坑口

写真17 遺構

写真18 遺構

写真19

写真20 何かの跡

写真21 何かの遺構

写真22

写真23

写真24 橋梁

写真25 橋梁

写真26 何かの跡

写真27 水利施設

写真28 写真27内部

写真29 橋梁

写真30 橋梁

写真31 トロッコの車輪

写真32 何かの部品

写真33

写真34

写真35 何かの跡

写真36 同

写真37 坑口

写真38 通電設備

写真39 遺構

写真40 何かの小屋


写真41 上流部からの風景。中央はスキー場ベースロッジ


写真42 スキー場レストハウスを望む

 

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