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◆小外川(ことがわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「清川」(昭和22.6)を使用したものである

所在:戸沢村古口(ふるくち)
地形図:清川/清川
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約30m
訪問:2018年11月

 

 村の北西部、最上(もがみ)川左岸にある。支流の小外川沢との合流部に近い。
 当地までの陸路はなく、下流の柏沢(かしざわ)集落より川岸を伝って徒歩で訪問。ただし当地は川下り観光船の立ち寄りスポットとなっており、これを利用すれば容易に訪れることができる。
 観光スポットである西部(船着き場周辺)に外川神社(仙人堂)(写真2)と観光の販売所・小屋・便所があり、ここから離れた東部には廃屋が数軒と学校跡(写真18-22)がある。最近の地図では平坦地に畑の記号が見られるものの、現在耕作されているものはない。以下は仙人堂脇にある「仙人堂由来書」とある説明看板より。


 最上峡に鎮座する仙人堂は、外川神社とも言われ、古くから農業の神として、又航海安全の神として厚く信仰されており、源義経の奥州下りの折、従者の常陸坊海尊は、この地で義経と別れ、終生この山に篭り修験道の奥義をきわめ、ついに仙人になったと言われている。
 仙人堂は、白糸の滝などどともに、最上峡の主な名所であり、俳聖芭蕉の「奥の細道」紀行文にもうたわれておりかの有名な「五月雨をあつめて早し最上川」の句は当地で詠んだものと言われており、これを尋ねて多くの文人墨客が当地を訪れている。
 出羽三山信仰が広まると、最上川を上り下りする三山行者は仙人堂に立ち寄り参詣した。また鎧神明・兜神明・竜神明・本合海八向明神とともに「最上の五明神」と呼ばれており、祭神は日本武尊と言われている。
「奥の細道」紀行文抜粋
 最上川はみちのくより出でて、山形を水上とす(中略)
 白糸の滝は青葉の隙々に落ちて仙人堂岸に臨みて立つ
 水みなぎって舟あやうし。
 五月雨を あつめて早し 最上川


 なお当地から沓喰までの間は「東北自然歩道」(=新・奥の細道)の一部として遊歩道となっているが、現在は管理されておらず訪れる人もないよう。
 沓喰のかつての住民の話によると、炭焼きや米作りで収入を得て暮らしていたとのこと。往時より陸路はなく、「ササブネ」
により対岸を往来していたという。

 村史によると、大外川・小外川を併せた戸口は昭和44年19戸72人、同45年13戸48人、同51年7戸18人、同52年6戸13人、同53年5戸11人、同57年2戸4人、同62年2戸2人。この間の転出先は、上台・古口が多い。また小外川のみで宝暦11(1761)年5戸、天明8(1788)年5戸34人(いずれも「御巡見様御廻国之節御案内帳」より)。
 また当地にあった古口小学校外川分校は、昭和36年12月13日新校舎落成、昭和53年閉校(開校の記載なし)。

 


写真1 船着き場からの階段と鳥居

写真2 堂宇

写真3 「芭蕉が腰かけた石」

写真4 現地の風景

写真5 船着き場と最上川。対岸にも高屋の船着き場が見える

写真6 十一面観音

写真7 東西を結ぶ道

写真8 農地跡

写真9 廃屋

写真10 写真9の別角度

写真11 廃屋

写真12 同

写真13 同

写真14 同

写真15 トラクター

写真16 屋敷跡

写真17 馬頭観音

写真18 学校跡

写真19 同。校門

写真20 同。校舎の基礎

写真21 同。敷地内にある戦沒者(門脇氏)の記念碑

写真22 同。遊具

写真23 小外川橋

 

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