戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆沓喰(くつはみ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「清川」(昭和22.6)を使用したものである

所在:戸沢村古口(ふるくち)
地形図:清川/清川
形態:川の合流部に家屋が集まる
標高:約30m
訪問:2018年11月

 

 村の北部、最上(もがみ)川と支流の沓喰沢との合流部にある。
 下流の柏沢(かしざわ)集落より小外川大外川を経由し訪問。現地までの陸路はなく柏沢‐小外川間は川岸を伝うことになるが、小外川以東は「東北自然歩道」(=新・奥の細道)の一部として遊歩道が通じている。ただし現在は管理されておらず、こと当地付近では直近3箇所の橋が架かっていないため、通行にやや難儀する。
 現在は「最上峡ふるさと村」として整備され、夏期は観光業者が運営する舟により訪問が可能。集落跡には管理棟・便所・バーベキューハウスといった設備が置かれている。沓喰沢の右岸側にも屋敷跡等があるが、手入れはされていない。

 村史によると、昭和41年8戸43人、同42年7戸38人、同45年2戸6人、同46年1戸5人、同47年0戸。この間の移転先は、全戸が古口の上台。また宝暦11(1761)年7戸、天明8(1788)年10戸44人(いずれも「御巡見様御廻国之節御案内帳」より)。
 
昭和36年に東北電力により電気が導入されたが、それ以前に県の補助を受け沓喰沢川の沢水を利用した自家発電を開始している(昭和28年)。当時14戸。しかし木の葉などが詰まると発電効率が落ちるため、頻繁に清掃を行わなければならなかった。
 また当地にあった古口小学校沓喰分校は、昭和33年12月25日移転改築。昭和42年4月1日、1年間の閉鎖を決定。昭和44年4月1日休校。同49年閉校
(開校に関する記載なし)。また往時の校舎の写真が掲載されており、その跡地らしいものが沓喰沢の右岸側で見られた(写真13)。
 かつての住民の話によると、もと11軒。主に農業(稲作)で暮らしていたとのこと。往時より陸路はなく、「ササブネ」により対岸を往来していたという。

 


写真1 現地の風景。右はバーベキューハウス、左は管理棟
(以下沓喰沢左岸側)

写真2 管理棟。元は宅地か

写真3 案内図

写真4 石仏群。右から施藥観音・多羅観音・合掌観音・阿耨観音・蛤蜊観音・灑水観音

写真5 「ひょうたん池」

写真6 何かの遺構

写真7 農地跡

写真8 船着き場

写真9 橋

写真10 沓喰沢

写真11 遊歩道と道標。「東北自然歩道 最上峡と歴史のみち」とあり、直進は仙人堂
(以下沓喰沢右岸側)

写真12 遊歩道の看板

写真13 学校跡?

写真14 屋敷跡

写真15 写真14の遺構

写真16 何かの跡

写真17 外川方面への道(右)と農地跡(左)

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ