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◆南又(みなみまた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「左澤」(昭和21.11)を使用したものである

所在:大江町柳川(やながわ)
地形図:貫見/左沢
形態:緩やかな斜面に家屋が集まる
離村の背景:多くが移転事業
標高:約480m
訪問:2018年5

 

 大字柳川の北部、徳沢川(最上(もがみ)川二次支流)上流部の右岸側の斜面にある。柳川の枝郷。
 以下は町史より当地の概要。

戸数は江戸時代5、6戸。昭和30年代10戸。
水田は米が出荷できるほど所有し切留道知畑からの入作もあったが、山間地のため焼畑を多く持ち、粟・蕎麦などを植えて凶作に備えていた。
当地は柳川から下峠を経て大井沢に至る三山行者の通路に当たり、茶屋が2軒あった。
初めは今野姓だけであったが、のち今野3戸、新宮2戸となる。昭和30年代には今野6戸、新宮3戸、渡辺1戸。
周囲では盛んに行われていた青苧(カラムシ)の栽培は少なく、早い時期に衰退。盛んであったのは製炭と養蚕であった。ほかアクヤキ(生木を焼き、灰を作るもの。染料の助剤となる)や冬の藁仕事など。
神社は山神社。
昭和35年10戸63人、同40年7戸35人、同45年6戸23人。昭和49年、町による集落移転事業により無住となった。当時の4戸のうち、3戸が町により造成された住宅地に移転。

 なおHEYANEKO氏によると、当地には七軒西小学校南又冬季分校があったとのこと。昭和47年休校、同49年閉校。町史によると、明治24年12月柳川尋常小学校の分教場として開設(近現代編)、もしくは明治32年冬季分教場として開設(地誌編)。以下は児童数の推移。

年度 昭和30 昭和35 昭和40 昭和45 昭和50
学級数 2 2 2 2 0
児童数 17 31 16 11 0


 現地には建物の残る宅地が2箇所。ほか学校跡にも用途不明の建物が残されている(写真8)。集落に西側には墓地があり、今野姓を確認。また神社は既に祀られておらず、跡地には「山神社」と記された石塔が置かれている(写真14)。

 


写真1 屋敷跡

写真2 小屋の残る宅地

写真3 家屋

写真4 水田跡

写真5 何かの碑。個人(今野氏)を讃えたものであるよう

写真6 なめこ栽培記念碑

写真7 学校の門柱と道。「大江町立 七軒西小学校南又分校 」とある


写真8 校地の建物(写真7にあるもの )


写真9 校舎跡? 基礎が見える

写真10 校地の祠

写真11 墓地


写真12 同


写真13 神社。石段

写真14 神社。跡地の石塔

 

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