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◆和山(わやま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「土淵」(昭和21.11)を使用したものである

所在:釜石市橋野町(はしのちょう)
地形図:能舟木/土淵
形態:山中に家屋が散在する
標高:約570m(中心部)
訪問:2019年11月

 

 橋野町の北部、赤柴(あかしば)川およびその支流の初神沢右岸側の山中にある。遠野から大槌に通じる大槌街道(和山街道)に沿う。
 「和山」の呼称は、
赤柴・和山・初神上台一帯の広域名称としても用いられるが(聞き取りより)、ここでは和山の本集落について扱う。

 資料『釜石市文化財調査報告書』によると、中心部に3戸(通称・三軒茶屋)。ここは及川家本家(屋号・大家(おおや))を中心とした一族で、安倍貞任の郎従の末裔といわれる。大家の北側に「上ノ家」、南側に「下ノ家」があるが、下ノ家は早くに離村。この3軒が茶屋を開いていたことから、「三軒茶屋」と呼ばれるようになったという。
 ほか東の「ギリメキ」と呼ばれる場所に及川家(大家の分家)、西の万作目(まんさくめ)に及川家(大家の分家)と菊池家(釜石に移住)・愛宕神社、平葛に及川家(釜石に移住)、ヨ川に小笠原家(大槌に移住)があった。ほかヨ川には昭和23年から27年まで宮古林業の事務所があり、その木炭倉庫が和山分校の分室になっていた。さらに昭和28年から32年まで栗橋村営和山養鱒場が経営され、高橋氏が勤務していた。
 刊行当時(平成6年)で、大家は離村直後、上ノ家のみであったが不在がちであったよう。
 なお「ヨ川」は地形図では河川(赤柴川支流)の名称となっているが、ここでは赤柴川と地形図上の「ヨ川」との合流部一帯を指している(2つの河川を指す「両川」が訛って「ヨ川」と称されるようになったといわれている)。

 最近の地形図でも平葛・万作目・三軒茶屋・ギリメキに建物が記載されているが、このうち平葛・万作目は跡地のみとなっている(万作目は林業の土場となっており、作業中であったため遠くから眺めたのみ)。
 ヨ川は訪問後に資料で確認したため詳細な確認はしていないが、当地にあったとされる養鱒場の跡地は見られなかった。
 三軒茶屋には家屋が1軒現存し、道沿いには鳥居や石塔群も見られた。先の資料では西の丘の上には白牛頭天皇神社があるとのことだが、訪問後に資料を閲覧したため未確認。
 ギリメキにも家屋が現存。畜舎があり、畜産を行っていたことが窺える。
 
赤柴で伺った話では、離村は10年くらい前ではないかとのこと。往時は和山一帯では炭焼きを生業としていたという。水田はなかった。

 


(写真1 道標〔
赤柴にて〕)

写真2 鳥居

写真3 本谷と川沿いの平坦地

写真4 建物跡

写真5 炭焼き窯跡?

写真6 屋敷跡(平葛)

写真7 「和山入口」の看板(初神沢からの分岐にて)

写真8 サクラの木。看板には「三軒茶屋記念櫻」「一九五四年六月」とあり、及川氏の名が記されている(以下三軒茶屋)

写真9 家屋

写真10 写真9そばの一劃

写真11 倒潰家屋

写真12 鳥居

写真13 石塔群。左奥から「馬頭観世音」「馬頭觀世音」「月山 羽黒 湯殿三山供養」「南無阿彌陀〓/文政六癸未/十月吉日」とある。右は判読できず
※ 〓は「価」のつくりの下に「国」。「仏」の異体字

写真14 家屋(ギリメキ)

写真15 小屋の跡

写真16 廃棄物処理場の門

 

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