皆瀬弾正の墓

皆瀬弾正の墓
龍神氏12代当主(弾正)は、小又川の小森に下屋敷(別宅)を建て皆瀬と往来していたが、天文7年(1538年)戊戌7月15日小又川で領内の不満分子数十名が盆踊りの夜に反乱を決行。武勇名高き弾正も不測の凶事に動転、「万夫不当に働き、敏をことごとく打ち捨て、弟の正義に我が子「正房」(3歳)を託し、命運尽き果て当主の誇りを矜持しつつ、生年36歳にて自書す」とあり。この皆瀬の山裾に、法名 義直、妻と子(男子)の墓地と屋敷が残されている。小又川の小森に明神八幡社を天文年間(1532〜1554)造営の宮跡、弾正の子、正房(皆瀬鶴千代・法名道玄)は13代を継ぐ。

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