炭・紀州備長炭
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紀州備長炭
あかとんぼ
炭のお店

和歌山県田辺市
新万17-18

TEL 0739-23-3252

紀州備長炭の由来

 紀州備長炭の名声は全国に知れ渡っております。一流料亭から街のうなぎ屋さんや焼き鳥屋さんに至るまで、紀州備長炭を使用しているお店では、どこも「紀州備長炭使用店」の看板を大きく掲げています。紀州備長炭は白炭の芸術とさえ称えられています。紀州備長炭は和歌山県の無形文化財に指定されています。

 原木のウバメ樫(馬目樫もしくは姥目樫)は、主に和歌山県の南部地域の痩せ地で風の強い海岸沿いや崖地に自生しています。ウバメ樫は和歌山県の県木に指定されています。
 ウバメ樫の林は通常ですと伐採後20〜50年で自然に再生されるのですが、戦後に伐採した際に、その地に杉や桧を植林したため、今になりウバメ樫が不足するようになってきています。

 伝説では備長炭の製炭技術は800年代に中国から空海によって伝えられたとされています。ただ本当のところは、800年代の平安時代から熊野地方で焼かれていた熊野炭(やゆたん)の窯を、江戸元禄時代(1670年頃)に田辺市秋津川の製炭士たちが改良して、現在の備長炭の製炭法を確立したといわれています。田辺市秋津川が備長炭発祥の地とされています。

 紀州備長炭は、最高温度が1200℃にも達する高温で焼かれるため、耐火度の高い炭焼き窯が必要でした。田辺市から南部川村に掛けての丘陵地帯には、古生層で耐火性の強い粘土がたくさんありました。ウバメ樫の原木と耐火性の強い粘土がたくさん採れたことから、田辺で備長炭の製炭技術が発達した由縁となりました。

 江戸時代、紀州田辺藩では備長炭の製炭技術を保護育成し門外不出としていました。

 田辺市栄町付近で4代にわたり紀州田辺藩の大年寄をつとめていたという備中屋長左衛門は、田辺周辺の炭を一手に扱っていました。

 備長炭の名前が使われるようになったのは、備中屋長左衛門が備長炭と名前をつけて江戸や大阪へ出荷したのがはじまりとされています。

 ただ、何代目の備中屋長左衛門が名づけたのかは、正確なところは判っていません。

 左の写真は、田辺市浄恩寺にある備中屋長左衛門のお墓です。