『熊楠研究』第二号

編集後記

◇第一号には予想以上の反響があった。関西の新聞では、ずいぶん大きく取り上げてくれた。とくにうれしかったのは、ふだんお世話になっている地元の方々の好意ある反響であった。考えてみれば、調査の開始以来すでに七、八年たちながら、ほとんど形になる成果を出してこなかった。その成果の一端として受け入れてくださったのだと思う。◇相当の額になる調査実費(交通費、宿泊費、食費等)の顕彰会からの援助がなければ、この作業は持続できなかった。しかし一方では、手当なしの奉仕作業で好きでなければできない、という気持ちもあった。ところが、本誌の読者からの声のなかには資料を独占せず、早く公開し、利用させてほしいという要望もあった。新しい全集の刊行と、資料公開の場としての研究所の設立が、待ち望まれているということであろう。(飯倉)

◇第二号も思ったより充実した内容となり、ホッとしている。量的にもぎりぎりというところで、次号まわしにした資料もある。できるだけ多くの資料を掲載していきたいと考えているのだが。◇熊楠の研究といってもまだ、テクストの確定やそれぞれの学問領域における位置づけといった前提になる作業に、終止している段階である。何をまだるっこしいことを、要は一人一人が熊楠をいかに読むかということでいいんだよ、という声はある。もっともな話である。しかし、熊楠の仕事を現在に架橋するには、そうした鬱陶しさをくぐり抜けなければ見えてこないものもあるだろう。たぶん、そこに見えてくるものは天才や超人ではなく、市井に生きたひとりの人間の汗みどろの営みであろうか。◇資料目録の刊行と、資料公開のための研究環境の整備にはまだ、しばしのご猶予を願わなければならない。翻字の会も始まり、徐々にではあるが公開への準備は整いつつある。(原田)

◇あまり仕事をしなかったわりには、名目上の事務局ということで『熊楠研究』創刊への祝意を、あちこちでいただくことになった。ありがたいことである。しかし軌道に乗ってくると、今度は課題や、足りない面が気になってしまう。◇一つは、調査チームの資料公開のためという側面の強い論集を、研究交流の場としても開いていく必要性だろう。今回は橋爪氏の投稿論文を載せたが、こうした試みを今後も続けていきたい。◇もう一つ気になるのは執筆者が男性に偏っていることである。熊楠には「男の中の男」と自称するなど、ミソジニストな面が確かにあって、それが現在の受容の中にも引き継がれている。だがこのことは将来的に研究の幅を狭めてしまう危険を持っていることは認識した方がよい。考えてみれば、熊楠の研究は鶴見和子氏やブラッカー氏など女性研究者が切り開いてきた部分が大きい。ということで今後に期待したいのだが、次号は「男色」特集という話もあって…(松居)

[前号へ] <p> [次号へ] <n>

『熊楠研究』2号のページへ <b>

『熊楠研究』のページへ <s>

サイトのホームへ <0>