【「大塔林道・野中・那智」 「勝浦から古座へ」 】 < [フィールドノート] < [南方熊楠資料研究会]
一日では帰れなくなってしまった大塔林道行の余禄で、勝浦港に宿泊した翌朝は、熊楠が帰国二年目を過ごした勝浦での足跡をたどるふりをして、当時の港とおぼしき勝浦港西側の入り江付近をさまよってみました。
勝浦の港からひとつ西隣りの入り江へ入ってみました。廃船、廃車、すっかりツタに覆われた廃屋…。
熊楠が勝浦に来た当初逗留した、大畑(おばたけ)の「新田源吉方」がちょうどこの辺だったという推測もあるようです。
振り向いてみた、かつては漁港だったらしい入り江。入り組んだ岩影の向こうは太平洋です。
上富田への帰路寄り道をした古座町直見(ぬくみ)にて。この大谷湿田は、希少種ハッチョウトンボの繁殖池なのだそうです。ヤゴの抜け殻や糸トンボは目にすることができましたが、強烈な日射しに長時間の滞在は断念しました。
この日は丁度土用の丑で、古座の直焼きのウナギが実にうまかったのですが、写真はありません。
大谷湿田の手前、田んぼの真ん中には、こんもりと盛り上がった鎮守の杜がありました。熊楠ゆかりの田中神社にも似た光景。由来も定かではないような、大字小字ごとの鎮守の神様が、かつてはどの集落にもこうして祀られていたのでしょう。今は、すっかり自然になりゆくままに任されているように見えます。
古座の西、串本の手前の海岸から、すぐ沖の大島まで橋を架けかけたような、紀伊半島南端の奇景橋杭岩(はしくいわ)。弘法大師が一夜で橋を築こうとしてあきらめた跡だという伝説を、熊楠は何度か論じています。
「姫の松原橋杭入れて、北の方伊串わ、たしもやる」(南方熊楠「桑名徳蔵と橋杭岩の話」)
[写真は 2003年2月のもの。この時は通ったのですが写真を撮りそびれました。]