上の「アニメーション」の文字から、この器具の可動部分を順次動かしてみた様子の動画へリンクしています。
台座の寸法は45×24cm、高さは約21cm(ただし伸張可)、詳細な寸法は下図の通りです(下の図から拡大図へリンクしています)。
この器具は、南方邸の蔵(くら)二階に保存されていました。この器具がいったいなんのためのものだったのか、調査チームは現在判断しかねています。この器具についてご存じのことや、お気づきの点のある方からのご教示をいただければ幸いです。(2003. 3.30)
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その後、平成15年5月の調査の際に、この器具と組み合わせて使われた可能性のある木製の台が確認されました。上記器具が底部以外をニス塗りで丁寧に仕上げてあるのとは異なり、この台は白木のままです。丁度まな板に脚をつけて高くしたような厚みと形状で、重い物を載せられる強度があります。熊楠の日記中、大正七年六月二十日〜二十二日の記事(邸所蔵、未刊)にある、顕微鏡を載せるための「机爼」を依頼して作らせたという記述が、該当する可能性があります。後掲の日記からの引用をご参照ください。 |
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この白木台の側面には大きく溝が切り込まれており、その位置と形状が、前出木製器具の軸についている金具の突出部がちょうどはまり込む具合なので、両者は同時に用いるように作られたのかも知れません。試みに、両者を組み合わせて、縦向きと横向きの二つの姿勢で顕微鏡台及び画架として用いた様子の写真を撮ってみました。しかし、はたしてこの使い方で正しいのでしょうか。日記・書簡などに参考となる記述がないかなど、引き続き調査を進めたいと思っています。 |
写真は両器具をそれぞれ利用者に対して左右(上)と前後(下)の向きに配置した様子。ポーズを取っているのは当研究会資料班の武内善信氏。写真中の顕微鏡は南方邸の蔵二階に保存されていたものですが、熊楠愛用の品ではなく、おそらく長男熊弥に買い与えたと思われるものです。(5月1日撮影。なお、写真右下の日付が2002年になっているのは単なるカメラの設定ミスです。)
午後楠本芳太郎氏来ル、(昨夜永井利太郎氏ニ頼ミ、招キシ也)予ノ顕微鏡描写ノ節、鏡台載スベキ小机(爼様ノモノ)作ルコト頼ム、顕微鏡描写ノ概略ヲ、実物ニ就テ示ス、四時過頃去ル、(三時間ホド居リシ也)
○此夕飯前楠本芳太郎氏来リ、昨日頼ミシ顕微鏡ノ台成シヲ示サル、少々不足ノ点アリ、持帰ル。
○顕微鏡ノ描写用台完成ニ付スシ拵エサセ食フ。
朝九時半楠本芳太郎氏顕微鏡台(机爼)モチ来リ、予眼サメ、起出、檢スルニ、大略ヨシ、仝氏ハ去ル、午後昨日得シ菌二種、胞子検記ス。
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