南方熊楠資料研究会による南方熊楠邸(同保存顕彰会・田辺市教育委員会文化振興課内)所蔵資料の調査作業及びこれに関連した南方熊楠資料研究会の活動の記録を掲載しています。
《ミナカタ通信》23号 (2001.12. 5) 掲載
期間: 2001年9月3日〜7日
番号付キットボックスについては写真資料、新聞資料を残して終了。残るは写真類、軸物、その他遺品類。
これらを先に整理するか、来簡をやるか、決める必要がある。
83,84の箱を作った。
写真類、軸物、その他遺品類のカード作成。
作業者がそれぞれ、「あ」から順に、地元関係者来簡、友人など関係の深い人物からの来簡、平沼大三郎来簡と違った方向から調査を行った。
助手をつけるとミスが少なくなる。
年月日が入っていないものの推定に手間取る。細かい年表を作れば便利。
小笠原誉至夫、宮武外骨、末吉安恭、田中長三郎よりの来簡の調査担当をそれぞれしかるべき方に依頼することとした。
約3500通のうちの1000通程度が終了していると思われる。詳細についてはデータ入力待ち。
次回から飯倉は中国書籍目録作成にあたる。一人助手が必要。
今回程度の人員でかかるのであれば、約2回でカード採りは終了可能。二人組等のチームワークが効率的である。
来簡については別室、別日程にて人海戦術がとれないか。
和書カード作成を終了、引き続きカードの点検作業を棚001〜002、006、026について行ったが途中でタイムアップ。
カード点検作業継続。あと一人助手が必要。 提案:「和書」という用語の統一:明治中期以降の和綴じ本をも含めて「和書」としたい。和装本を「和本」とすることはできないのか。→12月の会議にて議論
雑誌、抜刷り、パンフレット等既成の目録と現物との照合作業。目録から漏れている物のカード作成は日本語以外の物はほぼ終了。ただし、あちこちに散在している雑誌類を一本化する必要あり。
和雑誌についても目録から漏れている雑多な本を抽出する作業を優先している。照合作業については途中でタイムアップ。
松居は、英文雑誌のうち熊楠論文掲載号を調査。"Nature" と "N&Q" については、かつて平凡社が別に分類しているので、それらを中心に調査を行った。とくに書き込みのある分についてはデジタル・カメラで撮影、分析する。
洋雑誌、和雑誌の所在確認、目録との照合作業。松居は英文雑誌の点検作業を継続。二人助手が必要。洋雑誌データ入力は田村が担当。
データベースソフトについて:「桐」「エクセル」併用で行くのか、どうか。
最新情報は邸のパソコンに集積することとする。
各チームの都合によっては、チーム単位で個別調査を行うことも可能である。
期間: 平成13年11月2日〜5日
9月の調査の際、洋雑誌全点を新書庫のスチール棚に配架して作業を行いました。しかし、作業途中で時間切れとなり、最終日の荒天もあって、そのままの状態で撤収しました。次回の調査までほうっておくわけにもいかず、今後の雑誌チームの作業量なども考慮して、雑誌チーム・チーフ田村義也、松居竜五、およびアシスタント兼事務局の小生 (安田) の3名で、学園祭シーズンを利用して、急遽、調査と資料整理を行うこととしました。皆様にお知らせすることもできず、事後承諾のような形となってしまったことを、この場をお借りしてお詫びしたいと思います。失礼しました。
さて、今回の追加調査のように、目録作りのための作業が進むに従がって、各パートがある程度独立して作業する必要が生じてきました。そこで、今後、それぞれのチームで今回のような個別調査が必要であれば、顕彰会、ならびに事務局も可能な限り対応させていただきたいと思います。その場合は、事務局の松居あるいは安田までご連絡ください。
雑誌、抜刷り、パンフレット等既成の目録と現物との照合作業。目録から漏れている物のカード作成。
洋雑誌の保存処理→中性紙封筒に入れ、プラスチックケース(衣装ケース)に収納。防虫剤と防湿剤を入れる。ステプルを外すのは、点数が多すぎるため後回しにした。整理終了後、人海戦術を用いて一斉にステプル外しを行う。
洋雑誌、和雑誌の所在確認、目録との照合作業。松居は英文雑誌の点検作業を継続。引き続き洋雑誌データ入力は田村が担当。
今回の小規模調査直前の10月29日に、故玉井源治氏のご遺族より南方熊楠関連資料が南方熊楠邸保存顕彰会に寄贈されました。今後、こうした形で資料の寄贈・寄託をいただけることが増えてくると思われますし、現在構想中の研究所においても、各地に散在している熊楠関連資料を収集することは重要な仕事の一つとなります。
今回ご寄贈いただいた資料は、地元紙紀伊民報の前身である紀伊新報編集長であった玉井源治氏が収集されていたものです。寄贈された資料は以下のとおりです。
熊楠直筆の「佐山千世(伝右衛門)宛書簡」8通
新聞切り抜きスクラップブック2冊
南方邸内撮影の写真ネガ(フィルム2本:昭和35年、同36年)
田辺・新庄絵葉書(神島及び田辺名称)
これらの資料の詳細については、あらためて紹介させていただこうと思いますが、来歴について簡単に触れておきたいと思います。まず、自筆資料である「佐山千世(伝右衛門)宛書簡」は、玉井さんが佐山家から譲り受けたもののようです。内容については、すでに『紀南郷土叢書第11集「南方熊楠書簡集」』72〜76頁に掲載されています。
つぎにスクラップブックですが、これには熊楠自身が切り抜いたものが数枚貼られています。それは、熊楠独特の筆跡で日付と新聞紙名が書き込まれていることでわかります。「おやおや」と思ってよく調べますと、これは熊楠の晩年を公私にわたって支えた野口利太郎さんのスクラップブックであることが判明しました。
前述のスクラップブックの中に、見たことのない新聞連載の熊楠伝『近代傑物伝』(畠山清行著)の切り抜きが束になって挟まれていました。これも野口さんが集めたのか、はたまた玉井さんが集めたのかは断定できませんが、『新大阪新聞』ということは、おそらくは田辺では販売されていなかったでしょうから、業界人であった玉井さんが集められたのではないかと思います。現物を見る限り、当時の『新大阪新聞』は、いわゆるタブロイド紙で、裏面は大流血の力道山だったりします。
(報告:安田忠典)