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南方熊楠邸調査記録

 南方熊楠資料研究会による南方熊楠邸(同保存顕彰会・田辺市教育委員会文化振興課内)所蔵資料の調査作業及びこれに関連した南方熊楠資料研究会の活動の記録を掲載しています。

平成13年秋期南方熊楠邸調査報告

《ミナカタ通信》23号 (2001.12. 5) 掲載

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期間: 2001年9月3日〜7日

生資料チーム (武内、近藤)

【作業内容】

【次回予定】

来簡チーム (小岡、吉川、飯倉、原田、助手2名)

【作業内容】

【次回予定】

洋書・和書チーム (川島、横山、志村)

【作業内容】

【次回予定】

雑誌チーム (田村、松居、安田)

【作業内容】

【次回予定】

その他


 【雑誌チーム追加調査報告】 

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期間: 平成13年11月2日〜5日

 9月の調査の際、洋雑誌全点を新書庫のスチール棚に配架して作業を行いました。しかし、作業途中で時間切れとなり、最終日の荒天もあって、そのままの状態で撤収しました。次回の調査までほうっておくわけにもいかず、今後の雑誌チームの作業量なども考慮して、雑誌チーム・チーフ田村義也、松居竜五、およびアシスタント兼事務局の小生 (安田) の3名で、学園祭シーズンを利用して、急遽、調査と資料整理を行うこととしました。皆様にお知らせすることもできず、事後承諾のような形となってしまったことを、この場をお借りしてお詫びしたいと思います。失礼しました。

 さて、今回の追加調査のように、目録作りのための作業が進むに従がって、各パートがある程度独立して作業する必要が生じてきました。そこで、今後、それぞれのチームで今回のような個別調査が必要であれば、顕彰会、ならびに事務局も可能な限り対応させていただきたいと思います。その場合は、事務局の松居あるいは安田までご連絡ください。

雑誌チーム (田村、松居、安田)

【作業内容】

【次回予定】

 寄贈資料について

 今回の小規模調査直前の10月29日に、故玉井源治氏のご遺族より南方熊楠関連資料が南方熊楠邸保存顕彰会に寄贈されました。今後、こうした形で資料の寄贈・寄託をいただけることが増えてくると思われますし、現在構想中の研究所においても、各地に散在している熊楠関連資料を収集することは重要な仕事の一つとなります。

寄贈された資料の概要

 今回ご寄贈いただいた資料は、地元紙紀伊民報の前身である紀伊新報編集長であった玉井源治氏が収集されていたものです。寄贈された資料は以下のとおりです。

  1. 熊楠直筆の「佐山千世(伝右衛門)宛書簡」8通

  2. 新聞切り抜きスクラップブック2冊

  3. 南方邸内撮影の写真ネガ(フィルム2本:昭和35年、同36年)

  4. 田辺・新庄絵葉書(神島及び田辺名称)

 これらの資料の詳細については、あらためて紹介させていただこうと思いますが、来歴について簡単に触れておきたいと思います。まず、自筆資料である「佐山千世(伝右衛門)宛書簡」は、玉井さんが佐山家から譲り受けたもののようです。内容については、すでに『紀南郷土叢書第11集「南方熊楠書簡集」』72〜76頁に掲載されています。

 つぎにスクラップブックですが、これには熊楠自身が切り抜いたものが数枚貼られています。それは、熊楠独特の筆跡で日付と新聞紙名が書き込まれていることでわかります。「おやおや」と思ってよく調べますと、これは熊楠の晩年を公私にわたって支えた野口利太郎さんのスクラップブックであることが判明しました。

[資料紹介]

 前述のスクラップブックの中に、見たことのない新聞連載の熊楠伝『近代傑物伝』(畠山清行著)の切り抜きが束になって挟まれていました。これも野口さんが集めたのか、はたまた玉井さんが集めたのかは断定できませんが、『新大阪新聞』ということは、おそらくは田辺では販売されていなかったでしょうから、業界人であった玉井さんが集められたのではないかと思います。現物を見る限り、当時の『新大阪新聞』は、いわゆるタブロイド紙で、裏面は大流血の力道山だったりします。

(報告:安田忠典)


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